「僕の歩んできた道(誕生〜中学校)」
誕生の頃
1962年2月14日,東京都成増,川越街道沿いの家にて生を受ける.家族は父,母,6歳年上の兄という構成で,典型的な末っ子である.名前は“兄”が選んだ(らしい).父と母が考えた数種類の名前を紙に書き仏壇において,まだ無垢な頃の兄に選ばせるという方法であったらしい(母談).なかなか合理的な方法である.父が理学博士の学位を取得した直後であったため,かなり子供に夢を託す名前が多かったらしい.なかには“哲雄”というのもあったらしい.
幼稚園の頃
自分自身認識できる記憶は幼稚園の頃から.このとき担任の先生に淡い恋心を抱いていたことを記憶している.初恋だろうか.また,自宅近くにも気になる女の子がいたことも記憶している.幼稚園のもう一つの記憶に,園庭で見つけた,まだ生きているミミズを手づかみして,この女の子を驚かそうと追いかけたという記憶がある.おそらく,あのにょろにょろと蠢くミミズを手でつかんだのは,このときがはじめてだと思う.今はとてもミミズを手でつかむことなんてできない.恋の力は,ここまで人間を進化させるのだ.
小学校低学年時代
小学校2年生までは,生まれた成増で過ごした.小学校2年生のときに,父が空気のよくない川越街道沿いを嫌い,当時まだ(否,今もか)田園風景の,東京都下の清瀬市に引っ越した.いわゆる転校生として清瀬の小学校に移ってきた.引越しする前日に,近所の子供たちがお別れに来てくれた.雪がちらちら降っていた.気になる女の子も来てくれた.子供ながらとても不安だったのだろう.このときの場面をよく憶えている.
案の定,地元の小学生からいじめを受けることになる.記憶には無いのだが,いじめっ子が「お〜う,坊ちゃんガリ」と言っていたことを憶えていることから,ヘアースタイルは,今からは想像できないが,坊ちゃんガリだったのだろう.この頃のことを母はよく話すのであるが,次のようなことがあったらしい.
転校まもなく「成増」に戻りたいと母に話した.母はいじめにあっていることを知り,何と次のように指導(?)した.「あんた,泣かされて帰ってくるなんて男らしくない.やられたらやり返しなさい!」と.それからは,相手を泣かすまで,あらゆる手段を(目潰し等の卑怯な手段も)使って食い下がった.また同じ頃,ドッジボールで,クラス一運動神経がよい子供が投げた一投を受け止めたことから「あいつ,やるじゃん」という認識が浸透し,自然といじめはなくなった.まさに映画「少年時代」そのものである.
小学校高学年時代
本当の意味での初恋は,この頃だとハッキリ認識できるのだが,どれが“初”かが,よく分からない.たぶん,両思いの人もいたと思うが,まだまだ告白するということもできず純粋なものであった.しかし,この頃何があったかを思い出そうとしても,なぜか「あ〜,あの子が好きだったなぁ〜」という記憶しかよみがえらない.
あっ,そうそう思い出した.小学校6年生の時に習った「鶴亀算」が,まったく理解できず.落ちこぼれるのではないか,という不安を持った.鶴亀算が理解できないことに,ものすごい不安を持った,なぜだか分からないが.
中学校時代
勉強したと認識できるのは,この頃から.数学と国語が好きだった.xとyを使った方程式を習って,小学校6年生のときに理解できなかった鶴亀算の問題は解決した.ホッとした.未だに鶴亀算は理解できないが,この頃,なぜ早く方程式を教えてくれなかったのか,と本気で憤慨していた.理科と社会は嫌いだった.
中学2年生のときに衝撃的な出会いがあった.今なお付き合っている友人ができる.とても個性的な人たちで構成された4名の班で,はじめは仲が良くなかったが,班ノートなるものを交換日記のように書き始めると一丸となった.班ノートは大学ノート40冊以上になった.これにより文章を書くのが好きになり現在に至っている.
それから・・・中学時代は結構モテた.2月14日は誕生日でありバレンタインデーである.家の呼び鈴がピンポーンとなり玄関に出てみると4〜5名の女の子が立っているのである.すごく積極的なアプローチも受けた.母も証言する.我が世の春であった・・・・.中学3年生の最後の頃,進学する高校が決まって,三鷹に通うことになったのだが,別な学校で最寄り駅が三鷹となる女の子に,「一緒に通おうね」なんて言われたことを記憶している.結局,そんなことはしなかったが.おちょくられただけかもしれない.
人生を楽しむ趣味に出会うのもこの頃.映画館にはじめて入る.また,学校の創立記念日に新宿歌舞伎町にあるテアトル新宿に「弾丸を噛め」というキャンディス・バーゲン,ジーン・ハックマン,ジェームス・コバーンという豪華出演者のわりに話題にならなかった映画を5〜6名で観に行き,家出少年たちと勘違いされて補導された.結局,学校に連絡してもらって学校が休みであることを確認してもらって,見る予定であった回の次の回を観ることができた.
また,天体望遠鏡を買ってもらったことから天文学に関心を持つ.毎月「天文ガイド」を購入し,M81星雲等のMを「エム」と読むのではなく「メシエ」と読むことを知っていることが自慢だった.今でも持っているが,「全天恒星図」を購入し,星座の名前を記憶した.髪の毛座というのがあることに衝撃を受けたことを記憶している.