家路の車窓

2001/6月号

2001/6/22金曜日

「変化を楽しむ」

なぜ,これを書こうと思ったかについて話そう.僕は,この4月に転職をした.理由は色々あるが,まぁ,色々な人生を味わってみたいというのも一つの理由である.この転職に伴い,朝6:40には家を出て約2時間を通勤に費やすことになった.このうち1時間30分は電車に座って乗っている.僕は大学の教官であり,いろいろな研究をして論文を書くことも大切な仕事であるので,この時間が非常に重要である.実際,この4月からの2ヶ月間で英文・和文論文を各1編ずつ執筆し投稿している.これに続いて,和文論文をもう1編,昨日まで電車の中で書いていた.

しかし,今日はなんとなく書く気分になれない.なぜか?自分で言うのもなんだが,年齢の割には英文・和文の論文を数多く書いてきたと自負している.飽きてしまったのか?そんなことはない.早く成果を論文にしたいとはやる気持ちはいつも持っているのだから.ただ,論文ではない文章を書いてみたくなったのである.人を「う〜ん,なるほど」とうならせる文章ではなく,「ここの表現がいいわね」と共感してもらえるような文章が書いてみたいのである.せっかくの電車の時間である.車窓からのぞく季節の変化,人々の素顔・様子などを日記風に書いてみることにした.文章の正確さは,少し大目に見ていただいて,私のこの文章を読んで,ある日の車窓の風景が皆さんの目に浮かぶようになってくれたら,私はうれしい.昨日まで論文を執筆していた.これからも勿論論文書きはやめないが,少し気分を変えるためにこれを書いていこうと思う.徐々に感性に感じさせることのできる表現ができたらと思う.

今日は夏至の次の日.一年でもっとも日の長い季節である.こんな日は帰宅時もまだ明るいので,みんなの顔も晴れ晴れとしている.まして今日は金曜日.無理もないことである.人生は,ある意味変化を楽しむものだと思う.金曜日から土曜日への変化は,生活リズムの変化にも等しく,なんとなく楽しいものなのではないだろうか.僕の場合,この4月には,生活のリズムが変わりすぎるぐらい変わったので,最初は大変だったが,今は楽しめるようになってきた.人生の楽しみは,変化を楽しむことなのではないか.季節の変化などは,俳句をたしなむ人は本当に楽しんでいるように思う.子供の成長も楽しみである.これだって人生における変化である.その変化を楽しむことができなくなったとき,変化を恐れるようになったとき,人は老いていくのではないか.僕はそう思う.大変だけれども,様々な変化に敏感になり,それを大いに楽しむ人生を進んでいきたいと思う.まだ,稚拙な文章表現しかできないが,これを読んでくれている皆さんは,僕の文章表現の変化を楽しんでいただけたらと思うのである.乞うご期待.

 

2001/6/25月曜日

「車窓からの風景」

今日は,車窓からの風景について書いてみる.皆さんに風景が分かるように記述したいのはやまやまであるが,どうなることか・・・.常磐線の風景はめまぐるしく変わるが,その中で好きな区間は,友部から岩間の間と大甕(「おおみか」と読む)から東海の区間である.特に友部と岩間間の山々を見たいと思って,今日は進行方向向かって右側に陣取っている(家路の車窓というくらいだから,東京方面に電車は進行中である).窓際に女子高生が足を突き出して座っていたが,わざわざ頭を下げて対面に座った.一瞬,変態オヤジと思われたような気がしたが,彼女は,今は眠りこけて時々膝が当たるのも気にしていないようだ.まず,大甕と東海の区間を通った.比較的距離が長く,線路近くに緑がせまっていたかと思うと,住宅街,田んぼ,水色の鉄橋を渡って久慈川を越える風景が続く.かなりめまぐるしく変わる.今は,あまりにも風景の変化が激しく思っていたよりも良くないという印象だ.勝田駅に着いた.なんか工事の用具があって,美しくない.自分が土木技術者でありながら,やっぱり,美しくない.水戸駅も期待できないので,しばし筆を休めよう.

内原を過ぎた.そろそろ風景もそれらしくなってきた.友部駅に着いた.友部駅の雰囲気,駅そばも,旅先で出会うお店のようで僕は好きだ.まだ食べたことはないが.さぁ,友部を出発だ.アサヒの旨茶を飲みながら風景を眺めることにしよう.緑の斜面の上に屋根が時折見える.それを過ぎるといきなり開け,遠くになんていう名前か知らないが山の影が薄暮に浮き上がる.と北関東自動車道のコンクリートの橋をくぐり,また,緑の木々が線路に接近し山は見えなくなる.次は,どんな風に山は僕の目の前に現れるのであろうか.まだ見えない.車掌が「岩間,岩間です」と言い岩間駅に着くと,その目の前に大きく山が聳え立つのである.岩間駅の案内には,愛宕山ハイキングコース所要時間5時間とか藤原藤房の碑とか書いてある.あの山は,愛宕山と言うのか・・・山の見える風景は好きだ.山の風景は,それほどめまぐるしく変化はしない.しかし,見る位置が確実に変わっているのだから,少しずつ変化しているはずだ.この少しずつの変化が,何か心を穏やかにしているのかもしれない.この点で大甕と東海のめまぐるしい変化とは異なっているように思う.急激な変化はエネルギッシュで動的なものだが,穏やかな変化は心を落ち着けてくれる作用があるのかもしれない.もっとも変化が無いのはつまらない.変化にも種類があることを今日の車窓の風景から学んだような気がする.

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