家路の車窓
2001/11月号
2001/11/02金曜日
「子供と大人」
僕は,「子供っぽい」とよく言われる.妻は「子供が三人いるようだ.一番大きい子供が一番手がかかる」と言う(家族は,私・妻・長男・長女という構成).だからと言うわけではないが,子供の凄さを少し話したい.私は,地球表面の土の環境問題に関心がある.故に,引き取り手の無い廃棄物と呼ばれるものの処理にも関心を寄せている.皆さんも常日頃から,分別ごみを心がけていることと思う.大変だけれども「心がけている」のである.「心がけている」ということは「努力している」のである.しかし,我が家の5歳の長男坊主は,ゴミが出るとどのゴミ箱に捨てるのか条件反射的に考え行動しているのである.もしかしたら彼も「心がけている」のかもしれないが,環境問題を研究対象にしている私よりも,その行動が自然であると感じる.そのような行動が自然で身に染み付いているという感じだ.言葉を覚えるのと同じで,擬似本能的に,行動しているように思える.ここに子供の凄さを感じる.おそらく,私は20年たっても30年経っても,ゴミの分別を「心がけている」ことと思う.しかし,私たちの子供たちは,おそらく,20年後,「当たり前のように」ゴミの分別をするのだと思う.努力することなく行動できるのではないかと思う.何回も言うようであるが,子供は凄いのである.
ここで気をつけなければならないのは,擬似本能的な行動を善しとして,子供に伝えるシステムを作り上げているのは,「心がけている」ことしかできない我々大人たちなのである.なんとも皮肉なシステムではないか?子供たちに教育していることが,教育している大人たちには「心がけている」以上にはなかなか到達できず,教育されている子供たちは,いとも簡単にあたかも本能であるかのように取得するのである.これがいわゆる世代交代であり,人間としての進化なのであろう.ここに人間の凄さがあるのかもしれない.「最近の若い奴らは・・・」などと簡単には言えないのである.
2001/11/5月曜日
「戦争を知らない大人たち」
今,通勤の途中でウォークマンで聞いている音楽は,僕が中学・高校時代に流行していたチューリップの歌である.「心の旅」がヒットして,今風に言えば,ブレイクしたグループである.僕らが高校生の頃,「心の旅」は,文化祭の前夜祭のコンサートで歌う定番の歌であった.この他に,ジローズの「戦争を知らない子供たち」というのもあった.今やすっかり演歌歌手となった堀内孝雄ことベーヤンの「君の瞳は1万ボルト」も良く歌ったものだ.
お気に入りのチューリップの歌は,僕の置かれている状況,環境,思っていることによって,そのときどきで変化する.今,気に入っている歌は「さよなら道化者」である.なんともヘンテコリンなタイトルだが,ぜひ聞いてみて欲しいと思う.この車窓も,この歌を聴きながら書いている.特に2番の歌詞である「チーズケーキとモーツァルトが好きで♪〜♪,嘘つきと戦争が大嫌い♪〜♪・・・・悲しいときより美しいときに泣きたいと言ってた君だった♪〜♪・・・」が好きなのである.
戦争が大嫌い.これがまさに今の僕の気持ちである.どの新聞を見ても,空爆,アフガニスタン,テロという文字が飛び交っている.まさに戦争である.これで何か得るものがあるのか?いや何も得なくてもいい.ただこのような事態を人として受け入れられるか?テロ活動を撲滅するためには,確かに攻撃するしかないのかもしれない.この攻撃で,両親を失った5歳の女の子の泣きじゃくる写真を見た.僕の息子と同じ歳である.この女の子が,どのような思想を持っているかは知らないが,この子が両親を失い心の底から悲しいと思っているのは人として当たり前だし,その気持ちも手にとるように分かる気がする.こんな悲しい状況で泣くのは辛すぎる.これを書きながらも悔しくて涙が出てくる.でも,何をどのようにすれば良いのか?今の僕は祈る以外に何もできないし,勇気も無い.
早く美しいときが来て欲しい.そして,心地よい感動を持って心地よい涙を流したい.「戦争を知らない子供」が大人になった今,切に願っていることである.