家路の車窓
2001/12月号
2001/12/05水曜日
「目標は高く」
昨日放送されたNHKのプロジェクトXの話をしたい.昨日のお話は,「ホンダ」のCVCCエンジンの開発に関わった方々についてであった.当時の排気ガス汚染は深刻なものであったが,「自動車は早くあるべき」という当時の価値観から,排気ガス汚染を低減させる技術開発・研究は地味なものととらえられていたようである.ここで,いくつかの偶然が「ホンダ」に起きる.一つは,欠陥車両を出してしまい裁判で訴えられ売上げが落ちる.一方,「光化学スモッグ」と呼ばれる排気ガスと太陽光が反応することにより発生する有害なスモッグが発生する.また,アメリカではマスキー法と呼ばれ,当時“厳しすぎる”と言われた排気ガス環境規制法の成立である.売上げが落ち込んだホンダという会社は,マスキー法に合格するエンジンを開発することで起死回生を狙ったのだろう.しかし,ホンダの個々の技術者は,「子供たちに青い空を残すために」,マスキー法に合格するエンジンを造ろうとした.技術開発の本質は,絶対に後者にあると信じる.
いつものように,自分が取り組んでいる問題に置き換えてみよう.僕は,地盤に関わる環境問題・廃棄物問題をライフワークとしている.どのように対策をとるかというのが僕の技術開発である.今までは,「強固な地盤を造り,そこに様々な重要建造物を構築するべき」という価値観が主流であり,建設に伴い生じる環境問題や廃棄物問題は地味であった.しかし,建設事業の活動度は,日本経済の冷え込みに伴い低下していることもあり,様々な企業は,環境問題や廃棄物問題の対策技術を開発している.あたかも会社であるホンダが起死回生を狙ったように.僕も,地盤汚染に関する対策技術の開発に取り組んでいる.この関係で,いくつかの大学や企業,シンポジウムなどで講演をさせてもらっているが,必ず一番最初に,この研究・技術開発に取り組んでいる動機を話させてもらっている.僕の子供たちの写真を見せ,「子供たちに美しい地球を残すために」と話すのである.ホンダの個々の技術者とまったく同じ気持ちである.聴衆を引き付けるための手法として子供たちの写真を使っているように思われるかもしれないが,「子供たちに美しい地球を残すために」と心の底から信じている.技術者倫理の本質であると固く信じている.
この番組で,僕自身,大いに勉強したことがある.ホンダの個々の技術者が持っていて,僕が持っていなかった姿勢があることに気付いた.僕の取り組んでいる地盤の環境問題においても,守るべき基準がある.この基準が時に“厳しすぎる”と思うことがある.しかし,ホンダの技術者は「厳しすぎる」とは言わず,「やるしかないんだ」という気持ちでCVCCを見事に開発してみせた.僕には,この「やるしかないんだ」という気持ちが少なかったように思う.人間は,高い目標を持つべきなのである.自分で“高すぎる”かなと思える目標を持ち,“やるしかないんだ”という気持ちで取り組むと,新しい価値観が生まれ,人に感動を与えるプロジェクトが生まれるのである.「子供たちに美しい地球を残すために」という普遍的な動機を持ちつづけ,CVCCエンジン開発技術者と同じ物事に取り組む姿勢を獲得するよう努力したいと思ったのである.
2001/12/5水曜日
「一年を振り返って」
2001年も,もうすぐ終わりである.この一年を振り返ってみたい.なんとも目まぐるしく変化の多い一年であった.おそらく一生忘れられない一年になると思う.転職があった.土地を買った.長男が七五三を迎えた.転職は,自分自身のことで特に精神的な部分で目まぐるしい変化があった.土地は,家族のことで物質的に制約される変化であった.子供の七五三は,子供のことで生まれたときから現在までの変化(成長)を振り返った.それぞれ,その時点では大変であったと思うが,今振り返ると良い思い出になるのである.思い出に残るか否かは,変化が大きかったか否かに依存するのであろう.思い出の多さが,人生の醍醐味だと思う.自分自身たくさんの思い出を持ち,また人にも思い出として残る人物になりたいと思う(できれば良い思いでとして).思い出の多い人は,自ら変化を求めている人なのだと思う.僕は,懐古主義的なところがあるのかもしれないが,思い出を楽しむことがよくある.「あの頃はこんなことがあって,この曲が流行し,あの映画を観た」ということが,映像のように浮かぶのである.人から何故そんなことを覚えているのかと言われることも多いが,自分でも分からない.しつこい性格がそうさせるのかもしれない.
この「家路の車窓」も思い出を楽しむ一つの方法なのかもしれない.ひと月ごと,自分の身の回りの出来事をきっかけに,僕が何を思ったか,感じたかを書き留めているに過ぎない.が,時々以前の車窓を読み返すと,自分自身一読者として楽しめることがある.自分の身の回りだけではない.社会では,卑劣なテロ,悲惨な戦争,経済不況,環境汚染などあまり良いことがない.どうしたら良いのか?自分には,何ができるか?すべきか?これについては,引き続き考えていきたいと思う.
「家路の車窓」は,来年以降も続ける.来年は何が起きるのか?また何を考えるのか?このように考えると,何となく楽しみになってくる.思い出のみならず,「未来」というのもまた楽しいのである.では皆さん,良い年を迎えましょう.