家路の車窓

2002/01月号

2002/01/09水曜日

 

「夢を語ろう」

明けましておめでとうございます.本年もどうぞよろしくお願いいたします.さて,新春ということで,「夢」について話したいと思います.

いきなり昨年のことになるが,20011217日の朝日新聞朝刊に,日本人の子供は「考える力」が不足気味という記事が出ていた.この記事に限らず,このような内容の話題は,いろいろなところで議論されている.僕たちが子供だった頃も同じように言われていたと思う.学生たちとこれについて話し合って思ったことがあるので,今回はこれを題材にしよう.

「考える力」が不足するのは,「夢を持っていない」ことが大きな要因であると感じた.自分の「夢」を持てば,その夢を実現するために自分は何をすべきか?どのようにしたらよいのか?,自ら「考える」ではないか.夢を持たず,大人たちが敷いたレールの上のみを行くのであれば,何も考えなくても済んでしまう.これでは,「考える力」など育つわけがない.

テレビなどで,受験を控えた小学生に「あなたの夢は?」とインタビューする場面を見たことがあると思う.弁護士,医者,公務員という既成の職業に夢を持っている子供が多い.これらの職業は,基本的には試験を受け獲得する資格に基づくものである.だから,受験のための勉強ばかりするのであろう.こんなのは大した夢ではない.とにかく資格試験に受かれば良いのであるから,方法論が分かりきったものであり,何も考えずに合格するための勉強をすれば,とりあえずその職業に就くという夢はかなってしまうのである.本当の夢は,資格を取りその職業に就いた後に持つべき壮大な夢なのである.

もっと壮大な夢は持てないものだろうか?発明家,冒険家など既成概念では,まともな職業とは位置付けられていないものを,夢として話す子供が増えて欲しい.発明家とか冒険家とか,いったいどのようなことをすればなれるのか?皆目分からない.だから良いのである.だから「考える」のである.夢を達成するための方法論が決まっているようなものは,夢とは言えないのである.壮大な夢を持って欲しい.そして,その壮大な夢を実現するために,悩み苦しみながらも大いに考えてもらいたいと思う.

最後に自分の夢を語りたい.前にも言ったが,僕の夢は「美しい地球を子供たちに残したい」である.日夜,そのために自分は何をすべきか何ができるか「考えている」のである.

 

2002/01/10木曜日

 

「夢を追いかけて」

2002110日の朝のニュースで,元オリックスの田口選手が阪神ではなく,アメリカ大リーグのカージナルスを選択したという話題を取り上げていた.年俸は,選択したカージナルスの方が明らかに低いのにである.阪神の星野監督は,「残念ではあるが,人生は夢を追うことであるから,良いのではないか」と言っていた.これもまた,心に響く言葉である.今や日本の野球界は「夢」を目指して活動している選手が多くなった.この不景気で不安な世情において,明日はどうなるかと不安に駆られている人が多い中で,給料は減っても「夢」を選びましたという人が少なからず出てくることに,自分自身勇気づけられる思いである.

先日,新年会があり,その帰り道で「転職にあたり,給料が下がって...」という話題が出た.確かに昨年の転職にあたり,お給料は少し減った.全く気にならなかったということは無く,何人かの人に,少し不満めいたことを言ったかもしれない.しかし,今は全く気にならなくなってしまった.月決めの小遣いをもらっており,その額が変わらないので,気にしなくなったのかもしれないが...とにかく,お金では買えない「夢」があり,人は「夢」を追うものであると思う.もちろん,お金も必要であり多い方が良いのであるが,お金を得るために夢を捨てるということはできないのである.

話を大リーグで活躍する日本人の話に戻すが,その先駆者である野茂選手は,大変な苦労をしたと思う.当時の近鉄の鈴木監督と喧嘩別れして,アメリカに渡ったのである.その時のニュースで鈴木監督は「野茂選手程度はいくらでもいる.アメリカで成功するわけが無い.」と話していた.このコメントは,日本の価値観そのものだと思う.自分たちの力・能力はこの程度と決め付けて,挑む前から諦めてしまう.決して失敗の無い方法の上でしか勝負しない.これでは,達成できる方法が明らかな“夢”程度しか持つことができない.この程度のものなんか「夢」ではないのである.

壮大な「夢」を持とう.そして「夢」を追いかけるための方法を「模索する」ことが人生であり,また醍醐味なのである.

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