家路の車窓
2002/02月号
2002/02/04月曜日
「Love Psychedelico」
Love Psychedelicoというグループをご存知でしょうか?今やメジャーになったので,ご存知の方も多いと思いますが.僕は,今メチャメチャはまっています.何が良いといわれてもよく分からないが,とにかく気分の良くなるリズムなのである.日本語と英語がごちゃ混ぜで,ほとんど意味は分かりません.今まで僕が好きになった歌手・グループのように,詞に共感するということはほとんどありません.「あ...ここのフレーズが分かる.心に染み入るフレーズだなぁ」ということはありません.Love Psychedelicoの奏でる楽曲は,詞もリズムと化しフレーズの意味に感じ入ることは無いのですが,そのメロディーと日本語と英語が混在したフレーズが組み合わさって作り出されるリズムに,何とも言えないノスタルジックを感じることができ,心に染み入るメロディーになるのです.KUMIという女性ボーカリストの声が,また素晴らしく,このメロディーに適した声色を持っているのです.一度聞いてみてください.
ここで思うのは,「言語」注1を“音声”で発する場合,“文字”により用いられる「言語」とは明らかに異なった性質を持っているということである.どちらが高い性能を持っているかというと,「音声を用いた言語」の方だと思う.Love Psychedelicoのように,音としての言葉に心が感じることがあるからである.文字としての言葉は論理学的なツールであることが多く,言葉の意味が分からなければ,それ自身意味をなさなくなるからである.詩・散文などは,文字としての言葉に音声の持つ性能を組み入れようとした素晴らしい技術なのだと再認識した.最近,IT技術の進歩に伴い文字での意思伝達が多くなっているが,音声を使った意思伝達の重要性をLove
Psychedelicoから教えてもらったような気がする.
注1:人間が音声または文字を用いて思想・感情・意志などを伝達したり,理解したりするために用いる記号体系.また、それを用いる行為(広辞苑第5版より).
2002/02/04月曜日
「不安」
ある早朝2時に,長男が頭痛を訴えた.その前の週におたふく風邪を患っていたので,「髄膜炎か?」という不安がよぎり,夜間でも見てくれる病院に行き診察を受けた.特に問題は無いということで,少し安心し帰宅し,出勤時間まで睡眠を取った.そして,出勤後,電話で様子を聞くと元気が無いという.いつもは,40度以上あっても元気な子供が,元気が無いというと非常に不安になる.不安に駆られると,何をしてても手につかない状態となる.ということで,取るものもとらずに,とにかく家路を急いだ.まさに帰らずにはいられないという感情の赴くままという状態であった.最近は,携帯でメールのやり取りや電話をしているので,逐次情報が入ってくる.結局は,それほど大きな問題ではなかったようだが,原因がなんだか良くわからないけれども様子が変だというと,とてつもなく悪い想像をしてしまいがちである.人は,自分には分からないことに対して,非常に不安になるものだと思う.
話が全く変わるようであるが,最近,ダム等の公共工事やプロジェクトに対し,住民が反対するケースが非常に多いことは,皆さんよくご存知だと思う.もちろん,技術的な側面での問題に対し反対されるケースも多いと思うが,仮にそのプロジェクトが技術的に全く問題が無かったとしても,住民に説明がされていなかったら,彼らはどう思うか?先の私と同じように,“不安”を持つものと思う.だから,説明が必要なのだと思う.最近「説明責任」とか「アカウンタビィティ」という言葉が良く使われているが,その本質は“不安”を低減させることにあるのだと思う.パフォーマンスとしての説明ではダメなのである.相手が何に不安を持っているかを知り,それに対してできる限り答えていくという姿勢が必要なのだと思う.