家路の車窓
2002/11月号
2002/11/6水曜日
「無常」
今年の親父の新盆で,お坊さんの説法を聞きました.この話がなかなか面白く,ためになったと思うので,ここに書こうと思います.僕の家の菩提寺は禅宗なので,道元とその弟子たちのお話が,その説法でした.仏教の説教では,四苦八苦すなわち生・老・病・死の四苦と,愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦が必ず出てまいります.前者の四苦から,一切の物は生滅・変化して常住でないこと,すなわち「無常」という言葉にたどり着きます.
「無常」・・・なんか虚しい響きがしませんか?僕は,高校の倫理の授業ではじめて,「無常」という言葉を聞いたとき,そのように思いました.同時期に,古文の時間に平家物語を読まされ「諸行無常の響きあり」の一節がでてきて,先生から「人生ははかない」という発言があったのも,そのように感じさせたのかもしれません.まだ,命を授かってから15年程度しか経ってませんでしたから,「人生ははかない」と言われてもねぇ.
しかし,このお坊さんの説法を聞いて,「無常」という言葉にまったく違った思いを持つようになりました.怒り,喜び,哀しみ,楽しさも無常なんですね.悲しみも,時間と共に和らいでいく.怒りも時間と共に落ち着いていく.これも無常なんですね.だから,人間は発展的に生きていけるのだということを知りました.いつまでも悲しんでいてはいけない.いつまでも怒っていてはいけない.恨み続けては,人間は生きていけないのです.
ここで,昨年9月に起きた憎むべきテロ事件と,その後の悲しい報復攻撃を思い出しました.あのような,むごたらしいテロ行為に対する憎しみはなかなか変化していきません.しかし,当時の憎しみを持ったまま,その結果として報復攻撃をし続けたら,報復を受けた国の民たちも,攻撃をした人たちに憎しみを持ちつづけることになります.お互いに憎しみを持ちつづけたら,永遠に平和は訪れないということになります.
「無常」・・・罪を水に流すのではなく昇華させる.難しいことですし,僕自身の考えがまとまっているわけではないのですが,何となく分かっていただけましたか?僕の言いたいこと.いつの日か,また話題にしたいと思います.「無常」ですから,きっとまた主旨が変化していると思いますが.
2002/11/6水曜日
「大きな古時計」
平井堅さんの「大きな古時計」,大ヒットしましたね.僕もCD買ってしまいました.この歌の歌詞はとても良いですね.昔から知っているはずなのですが,ものすごく心に響きますね.まさに「時空」を歌ったものです.先のコラムの「無常」をテーマにしたものかもしれません.アインシュタインが聞いたら,どのようにコメントするか聞いてみたいものですね.いや,100年も前の歌なのだからアインシュタインも聞いているはず!!彼は,この歌を聴いてどのように感じたか,何かに書き留めていないでしょうかね.ちなみに「大きな古時計」の英語版では,「90年休まずにチクタク・チクタク・・・」となってます.
特に僕の場合,今年親父を亡くしているので,感慨深いものを感じるのかもしれません.おじいさんが生まれたときに買ってきた古時計が,真夜中に突然鳴って,おじいさんが天国に行くお別れを知らせる.親父もこんな感じでしたね.人は時と共に生き,「時間」を客観的に観ることができない.「時間」を客観的に観ることができないからこそ,「無常」という思想が生まれてくるのかもしれません.このような思考プロセスを通じて,「無常」である喜び・怒り・哀しみ・楽しさなど人間の感情が生まれてくるのかもしれません.もし人類が「時間」を客観的に観ることができたら・・・・なんか恐ろしいことのように思えてきました.「時間」を客観的に観ることができたら,人間は感情を失ってしまうかもしれませんね.感情を失ったとき,人類は人間ではなくなってしまいます.
アインシュタインをはじめとする理論物理学では,「時空」という時間と空間を客観的に観ようとする試みがなされていますが,感情を重んじる僕のような人間には「時空」を研究テーマにする才能はなさそうです.