家路の車窓

2003/01月号

2003/01/20月曜日

 

「松井秀喜」

今年最初の話題を「松井秀喜」にしたのは,僕が大の巨人ファンであるからか?しかし,松井はもう巨人の選手ではなくニューヨーク・ヤンキースの選手である.彼は本当に,心のそこからすばらしい選手であると思う.昨年,巨人のファン感謝祭を観に行ったが,彼は本当にファンを楽しませてくれるし,巨人を去ることを意思表示していたにもかかわらず,チームの中心におり,またその時点では巨人の中心選手として精一杯ファンを楽しませてくれた.おそらく本当の巨人ファンは,心から松井選手を快く,また期待を込めてニューヨークに送り出しているものと思う.スタンドの多数の垂れ幕でも「松井選手,本当にありがとう.自分の夢を追い続けてください」という趣旨のコメントが書かれていた.本心であると思う.本当のファンは誰も「裏切り者」などとは思っていない.

ファン感謝祭のフィナーレで,彼はゆっくりと,本当にゆっくりと,誰もがその巨人のユニフォーム姿を目に焼きつけ写真が撮れるようにゆっくりと東京ドームのグランドを一周した.本当に彼のような選手は他にはいない.彼はホームランキングをとっても,常に向上しようとし続け,その姿に僕は魅せられてしまっている.僕の息子も松井選手が大好きであるが,その姿に子供も感じ入っているものと思う.なぜか,私の息子は阪神ファンになってしまったが,それでも“松井選手だけ”は特別に好きなようである.彼は,きっと野球選手でなかったとしても,その人柄ゆえ,ファンが多数いるような人間なのではないだろうか?自分も,そのようになれるだろうか?今年の目標の一つに加えたいと思う.

 

2003/01/20月曜日

「映画好きの記憶法」

僕は,結構くだらないことを良く覚えています.受験用の記憶ではありませんが,あの時,誰と誰がいて,どのように並んでいたかも覚えていたりするんです.自分の頭の中に,その時の状況が画像として浮かび上がってくるのです.先ほど,受験用の記憶には向かないと言いましたが,その内容が,どの本の,どのページに書かれているかを記憶することはできるのですね.残念ながら,その内容を覚えるまでには至らないのですが.ページを開いたときの画像のみを記憶しているからものですから.

自分が,何故このような記憶方法を取っているのか?別に不思議にも思っていなかったのですが,同窓会などで,「良く覚えているねぇ」とか言われて,その記憶方法について考えてみると,「映像」として覚えていることが分かったのです.では,この方法をどのように手に入れたのか?前にも書きましたが,僕は映画が大好きです.気に入った映画は何回も観ます.子供の頃から良く映画を観に行きましたがお金もあまり持っていないし,その頃はビデオもDVDも無かった時代ですから,上映期間を過ぎてしまえば二度と観ることができない作品もあると思って,とにかく最初と最後のシーンぐらいは,映像として記憶しておこうという気持ちがあったんでしょうね.目をつぶると,今まで見た映画,特に小・中学校の頃に観た映画の最初と最後のシーンが出てきます.どうも,この方法を得とくして,普通に使っているようです.結構お薦めです.映画好きでよかったなと思っています.

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