家路の車窓

2003/02月号

2003/02/27木曜日

 

「主客未分離」

やや難いタイトルですが,この言葉は,今年のNHK新春のテレビ番組で,ノーベル賞を獲得した小柴先生が口にした言葉であります.先生は,アインシュタインとモーツアルトのどちらが優れているか?という命題を提示された際に,タイトルの言葉を発言されました.すなわち,このようなお話です.アインシュタインが扱った物理の世界は,森羅万象,万人に同一の挙動をしているのであり,アインシュタインが発見した物理学的事実は,たとえアインシュタインが発見できなかったとしても,他の誰かがいつかは発見した可能性がある.すなわち,物理学が取り扱うものは,観察者である主体(つまり,人ですね)と被観察者である客体(つまり自然現象ですね)が分離しており,客体は主体を選ぶことなく,あらゆる主体に対し同様に行動している.客体の行動を認知できるかどうかは主体の能力に依存しており,たまたまアインシュタインが第一発見者であっただけ,という趣旨であります.一方,モーツアルトが創作する音楽は,客体である楽曲は,主体の内面から創出されるものであり,客体と主体を分離することはできない.これが「主客未分離」ということであり,このようなものは,モーツアルトが存在しなければ創出されることは不可能なので,アインシュタインよりもモーツアルトの方が優れているのではないか?という小柴先生のお考えでした.

このお話を聞いたとき,工学と理学の違いが分かったように思いました.小柴先生のおっしゃるとおりとすると,理学において主に解明の対象となる自然現象は主客分離されているようです.しかし工学は,自然現象の解明(理学における解明とはレベルが違うかもしれませんが)を通じて,解明に留まることなく人類・社会に貢献する技術へと発展させる点に特徴があります.したがって,取り扱う自然現象は,現象論的に主客分離でありますが,その応用という点では,人類・社会にいかに適用させていくかという点で,主体である技術者も客体の人類・社会の一員であることから,これは主客未分離であると考えられます.メカニズムの追求で終わらないのが工学です.メカニズム解明の結果を,どう利用するかは主客未分離であると思います.ちょっと難しくなってしまいましたが,要するに工学は幅広く奥深いということが言いたかったのです.

 

2003/02/27木曜日

「大いに空回りしよう」

昨年の今頃も,酔っ払って,この「家路の車窓」を書きました.本日は,卒業研究の発表会で,その後の研究室での打ち上げで良い気持ちになって,帰りの電車の中で書いてます.今回も,うれしくて涙が出てきますね.昨年の4月から比べて,みんな,もの凄く成長しています.もの凄いと思ったのは,言いがかりに近い私の質問に,一生懸命答えてくれる姿勢を見て,尊敬の念を持ちました.自分の研究を分かってほしいという気持ちがヒシヒシと伝わってきます.素朴な質問に対して,かなり深く考えた回答を,皆さんしてくれました.客観的に見れば,議論がかみ合っていないと見られるかもしれません.空回りしていると見られるかもしれません.しかし,空回りしていても,一生懸命なのは十分伝わります.むしろ,淡々と答えられると,あんまり深く考えていないのではないか,と思えてしまいます.その意味において,今回の卒論発表会では,大いに空回りしてくれる若者が多数いて,頼もしく思いました.みんな,一生懸命に深く考えてくれているのですね.本当にありがとうございました.僕自身,勉強になりました.

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