家路の車窓

2003/05月号

2003/05/02金曜日

 

「人前に登場するときの気持ち」

しつこくてすみません.また,我が息子ネタです.今度は,小学校入学式での出来事.我が息子は,人前に出るのが仕事の父親を持つ子供であるにもかかわらず,人前に出る行事の際には,必ずといっていいほど泣き出します.話していて分かることは,どうも緊張しており,その緊張感から逃げ出したいという意思表示のようです.実際には,人前に出てしばらくすると落ち着きを取り戻し,何事も無かったかのようにケロッとしています.

48日に行われた入学式でも,観客の視線を浴びることに緊張して泣きながらの入場となり,挙句の果てには,長女を抱いた母親の姿を見つけると行進の隊列から離れて母親にしがみつこうとしました.小学校の先生が,あたかも脱走兵を隊列に連れ戻すかのように,我が息子を新入生の座るべき席に連れ戻していきました.最初は泣きながらも,渋々指定された席に座っており,幼稚園時代の友だちを見つけると落ち着いたのか,泣き止みました.しばらくすると緊張が解けたのか,トイレに行きたいと先生に告げて駆け出していました.

僕も,職業柄から講義や講演で人前に出ることが多いのですが,何回やっても緊張します.我が息子のように泣き出したりはしませんが,講義前に必ずトイレに行くのは我が息子と似ているかもしれません.大学院生のときに学会にデビューしてから人前で講演しない年は皆無であり,あれから17年程度たっており年々回数も増えているのですが,やはり毎回緊張します.繰り返しますが,泣いたりはしません.

思えば,人前で話をする第一回目の機会は,小学校5年生のときに“なぜか”僕が美化委員長として,朝礼のお立ち台に立って各クラスの清掃状況を報告したときでした.今でもあのときの緊張感は忘れていません.自分の報告の順番が来るまで泣きたくて,その場から逃げ出したいと思っていた点は,我が息子と同じ心境だったと思います.また,うまくお話ができなかったことも鮮明に覚えています.例の映像の記憶として残っています.あれ以来,お話がうまくできなかったにもかかわらず,友だちが生徒会長に立候補する際の立会演説等を頼まれることが多くなり,人前で話すことが多くなりました.社会人になってからも友だちや先輩の結婚式の司会も随分とやりましたね.なぜ頼まれるのかしら?必ず,セリフを噛むし,一番向いていないのではないかと思っているのに,頼まれるんですね.頼む方も,僕が決して上手とは思っていなく,プロっぽくないから良いなどと言って頼んでくるんですね.よく理由が分かりません.

このような経験を持っている僕としては,我が息子の気持ちも分からないものではありません.しかし,この試練を乗り越えるのは我が息子本人なのです.何回も緊張し失敗し,多くの回数を経験することで,緊張はするけれども,泣かなくなるのではないかと思っております.泣かなくなったときに,また息子も一つ成長したな,と感じることができると思います.

 

2003/05/02金曜日

「組織と個人―モラルの視点から―」

「“沈まぬ太陽”の感想」で組織・集団と個人について,特にモラルという視点から少し考えてみました.今回,もう少し掘り下げてみたいと思います.なぜ人間は組織・集団になるとモラルが低下するのでしょうか?組織・集団においては,個人の責任が不明瞭になり,ちょっとぐらい悪いことをしても大丈夫という考えが生じることからモラル低下が起きるように思います.以前書きました暴走族のお話も同じだと思います.

こう考えてみると人間って,弱いものですね.確かアリストテレスではなかったでしょうか?人間は社会的動物であることを説いたのは.群れをなすことは本能であり,それによって発展してきたのは確かであります.しかし一方,パスカルが「パンセ」の中で「人間は考える葦である」と説いています.一人一人は非常に弱いものでありますが,「考える」という武器を持っているのですね,人間は.組織・集団の中で「悪知恵」を考えるのではなく,モラルをもって「考える」ことが,これから求められていますね.

学生の皆さんも,大きな企業に入社したいとか,官僚になりたいとか,という希望を持っていると思います.いずれ組織に属し,その組織の論理を考えざるを得ません.だからこそ,まだ,どの組織にも属していない(大学という組織には属していますが)今こそ,自分なりに「モラル」を高めるように,正義感を持った思考をしていただきたいと思います.こう言いながらも,自分自身に言い聞かせているのですが.

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