家路の車窓

2004/08月号

2004/08/02月曜日

 

「技術者・研究者としての自然に対する畏敬の念」

僕は,「土」という神が造り出した物質の研究をしています.皆さんご存知でしたか?神が最初に創り出した人間はアダムで,イヴは,アダムが「土」を使って創りだした2番目の人間だってこと.旧約聖書で確認したわけではありませんが,僕の出身大学の「土」の先生で今はキリスト教関連協会の偉い方になっている先生が,最終講義の際に話していたことを憶えています.僕が大学4年生で「土」の研究を始めたばかりの頃でした.このお話を聴いたとき,「へぇ〜,そ〜なんだ〜」という程度でした.まさか大学に入って「土」の研究をするなんて思ってもいなかった僕が,縁あって「土」の研究室に配属が決まって間もなく,この最終講義を聴きました.今思えば,この「へぇ〜,そ〜なんだ〜」という思いが,「土」に興味を持ち始め,どんどんのめり込んでいく「きっかけ」になったように思います.

イヴは,「命あるすべてのものの母に与えられた名」という意味もあるそうです.「土」から創造されたということと合わせると,「母なる大地」という言葉とも整合していますね.

それから研究所に入って,いろいろな地点(日本に留まらず,海外も)のボーリング調査に立ち会って,数多くの神が創りたもうた「土」の色や,粒々の大きさ,形などの状況を見てきました.そのとき,“絶対”に人間が創ることのできないものだと思って見ると,武者震いするような感動を受け,身体の中が熱くなります.そして,心の中に神様や自然に対する畏敬の気持ちがあらわれます.「へぇ〜,そ〜なんだ〜」という程度の人間もこんな風に変えてしまうほど,神の力は崇高・偉大であります.

テレビで科学者として紹介される人の中には,すべては科学や物理で説明ができると発言される方もいらっしゃいますが,僕はそう思いません.人間は基本的には有限の知識や思考の中でしか,判断や行動ができないのです.つまり,人間は神様ではないので,すべてを知っているわけではないのです.この事実を謙虚に受け留めることが大切だと思います.これを忘れたとき,神は我々人間に「自然災害」という罰を与えるのかもしれません.防災や安全に係る技術者・研究者は,神・自然に対して畏敬の念を持ち続けなければならないのだと思います.また,このような姿勢は,技術者の教育において次の時代に伝えていかなければならない大切な事項だと思っています.

注)畏敬:崇高・偉大なものをかしこまり敬うこと.(広辞苑第五版)

 

2004/08/02月曜日

 

「俺たちの旅」

今から30年ぐらい前の毎週日曜日・夜8時,僕は風呂も入って食事もして万全の態勢で,ひとりテレビの前に向かって日本テレビにチャンネルを合わせました.8時になると,小椋桂作詞・作曲のテーマ曲が流れ始めます.ご存知でしょうか.そう中村雅俊主演・「俺たちの旅」を観るためです.ひとりでテレビを観る理由は,このドラマを観ると必ず最後には泣くからです.

このドラマは終了してからも「10年後の俺たちの旅」,「20年後の俺たちの旅」と10年おきにスペシャルドラマとして放映され,20041月に「30年後の俺たちの旅」が放映されました.「俺たちの旅」の俺たちとは,中村雅俊が演じる「カースケ」,田中健の「オメダ(ダメオを逆さに読んだんですね)」,秋野大作演じる「グズ六(ロク)」の3人です.この3人を取り巻く人々も個性的で,万年浪人の「ワカメ」とか,とにかく,いろんな個性を感じるドラマなんですね.

うまく社会に適応するかしないか,適応できるか否かのところを行ったり来たりしながら,生活し人生を考える人々のお話です.当時の中学生である自分にとって,「人生とは」なんて大上段に構えたような命題をモチーフにしたドラマなんて分かる訳ないのですが,何か感じ入るものがありました.なぜか,当時中学2年生のときに一緒になった男子2名(僕を含む),女子2名で構成された班では,このドラマが一つのブームとなり,日記のように書いていた班ノートには「俺たちの旅」から感じた気持ちが綴られたり,僕だけでなく間違いなく当時の中学生の気持ちを捉えたドラマだったと思います.

ドラマの最後には「ただおまえがいい」というタイトルの歌が流れ,「人生とは,人と人が出会い,そして別れて,また新しい出会いを繰り返すものなのです」なんていう臭いセリフの散文詩がエンドロールで流れ,それまでのドラマの登場人物の生き様と散文詩の内容が合致して,自然と涙があふれ出てきました.まさに,青春だったなぁ.自分にとって,このようなドラマは,二度と現れないと思います.

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