家路の車窓

2004/09月号

2004/09/01水曜日

 

「テニスにおける精神統一」

そういえば,今まで何故この話題について書かなかったのでしょうか.僕はテニスがとても好きで,お昼ご飯を味わっている時間があれば,テニスの方がしたいという気持ちでいます.ですから,お昼休み,お弁当を買ってテニスコート横に行って5分くらいで食べて準備運動してテニスを40分程度楽しんでいます.日曜日には,7:50分開始の1時間30分のテニススクールに,息子と通っています.テニス歴は,そう22年ぐらいになるでしょうか.

自分で言うのもなんですが,結構うまいと思います.年齢と共に,少し足が衰えているかな,と思うときもありますが・・・

テニスで学んだ大きなことが一つあります.「自分は絶対にできると思わなければ実現しない」ということです.テニスの試合では,まずサービスを打つことから始まります.テニスを習い始めて,まず,このサービスの難しさを感じる人が多いと思います.テニスの試合では,ある決まったエリアにサービスを入れるところから始まります.これがなかなか思うように入れられないのです,最初は.サービスでは,1回のミスは許されます.つまり,2回打てるチャンスがあり,その内1回,2分の1の確率で決まったエリアに入れればよいのですが,これがなかなか難しいのです.サービスを入れなければ試合にもありませんから,「入れなければ」という気持ちが表れます.「入れなければ」と思うと,その結果をいろいろ思い巡らしてしまうのです.「入らなかったらどうしよう」とか「入るかなぁ」なんて.こんな気持ちでサービスを打つと100%の確率と言ってよいほど失敗します.「絶対に入れる」とか「自分はできる」という気持ちを持ってサービスをすると,そうですね,60%の確率で良いサービスが入りますね.

どんどん上達すると,サービスから始まって,相手の動きを予測し陣形を崩して,ポイントを取りに行くプレーをすることになるのですが,それぞれの場面で,先のような精神状態,つまり「僕は絶対にできる」という強い気持ちを持ち続けないと,勝つことはできません.試合が長引く消耗戦になると,体力の消耗みならず,高い精神状態の消耗が試合の結果にひびいてきます.「もう,これぐらいでいいか,僕は良くやっている」などと思ってはいけないのです.「僕は,もっとできる」という高い気持ちを持ち続けなければ試合には勝てないのです.

こんなに精神状態や気持ちの持ち方が,プレーに表れるスポーツは,他に無いのではないでしょうか.自分にとって,精神鍛錬と精神統一を与えてくれるスポーツだと思って,プレーを続けています.

 

2004/09/01水曜日

 

「フランソワ・トリュフォー」

また,映画のお話です.僕はこの年になっても夢を数種類,持っています.映画監督になってみたいという夢も持っています.ほんのちょっと前までは,映画俳優になってみたいとも思っていました.まぁ,夢を持つのは個人の勝手ですからね.

今回のタイトルの名前の方はフランス人の映画監督で,ご存知の方も多いと思います.「トリュフォーの思春期」とか,「緑色の部屋」,「大人は判ってくれない」などの作品を19601970代にかけて発表しています.「映画に愛をこめて アメリカの夜」は,結構こった映像を駆使し,当代の美人女優,ジャクリーン・ビセットを起用しています.また,スティーブン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」では,宇宙人と音楽で交信する技術を開発し,宇宙人とコンタクトするチームのリーダー役をし俳優としての才能も持っていた方です.

突然ですが,僕はこの監督が好きではありません.以前紹介しましたが,私の好きな映画監督は,イタリアのジュゼッペ・トルナトーレ監督です.トリュフォーの映画は,トリュフォーの顔が思い浮かんでしまう映画なのです.そこに登場してくる俳優の顔がまったく記憶に残らないような映画なのです.もちろん,すばらしい映像表現技術をもった稀代の映画監督だと思いますが,「おっ,おもしろい映像描写だ!」と思った瞬間,映画の内容や俳優の演技よりも,「トリュフォーらしいなぁ」という感想に心が奪われてしまい,登場してくる人物に感情移入しにくいんですね.先日観た「華氏451」でもそうでした(今話題の「華氏911」は,このタイトルをパロッたものだと思います.結構古い映画です).

一方,トルナトーレ監督の作品に登場してくる人物の顔は,映画を観終わっても心に,微妙な表情の変化も記憶に残っています.「ニュー・シネマ・パラダイス」で主人公トトが,映写技師のアルフレードの葬儀に出席し,子供の頃に係った人々と再会するシーンがあります.懐かしいがそれぞれ皺の増えた,かかわりのあった人々の微妙な表情変化の描写は,本当に忘れられません.

映画の本質は,奇抜な映像表現ではなく,ある人物を鑑賞者が感情移入できるように描写することだと,私は思っています.その意味で,トルナトーレ監督に軍配をあげたいと思います.

メニューへ戻る