家路の車窓
2004/11月号
2004/11/01月曜日
「大好きな女優:夏目雅子」
“私のベスト”にもあるように,夏目雅子さんが今もって好きな女優第一位にランクされています.かれこれ20年前ぐらいでしょうか.彼女が急性白血病でこの世を去ったのは.ちょうど,僕が大学院の修士課程1年生のときで,仙台で行われていた学会に出席しておりました.確か9月16日ではなかったでしょうか,彼女が他界されたことを報じる新聞を手にしたのは.学会発表の合間に,仙台から作並にあるニッカウィスキー工場に向かう仙山線に乗ろうとして,駅の売店で見た新聞の見出しは,今でも忘れられません.そして,作並に向かう電車に乗る前に,夏目雅子さんのことが書かれている新聞を買いあさって,ニッカウィスキー工場に着くまで読みふけっていました.何か放心状態で,読んでいたことを憶えています.
最近テレビで,骨髄バンクのCMなどで,在りし日の美しい姿が映し出されているので,学生のみなさんもご存知だと思いますが,それはそれは美しい方でした.その美しさは,外見だけではなく,その内面からほとばしる美しさなのです.当時,夏目雅子さんがDJをつとめたラジオ番組をよく聞いていました.とてもユーモアがあり,知的な口調の中に何か可愛らしさを感じてしまう話し方や,その内容,その豊かな性格が,彼女の美貌に表れていました.また,同じ頃,桂三枝が女優さんと対談する番組があって,それに夏目雅子さんが出演したときも覚えています.自分の弟(その後,プロゴルファーになりましたね)が可愛いこと,家族をとても大切に思っていること,などを語っていて,本当のやさしさを感じられる女優さんでしたね.
映画では最後の主演作品でしょうか.「瀬戸内少年野球団」の撮影があったのだと思いますが,僕がやはり徳島で行われた学会の帰りに乗った飛行機に,夏目雅子さんが乗ってきたことがありました.席はとても離れていたのですが,彼女のところだけスポットライトが当たっているようで,その顔の大きさも,自分の両手の親指と親指,人差し指と人差し指をそれぞれつけてできる円ぐらいの小ささだったように感じました(大袈裟ですが,でも,本当のそんな感じだったのです).今もご健在でしたら,どのような女優さんになっていたか,と思うことがあります.このような,いかにも夏目雅子さんらしい映画があります.「時代屋の女房」です.是非,ご覧ください.
2004/11/01月曜日
「スキだった女優:テータム・オニール」
今度は,スキだった女優さん・テータム・オニールさんです.もう映画には出演していないのでしょうか.ライアン・オニールとナタリー・ウッドという1960年代の人気男優と人気女優の間に生まれたサラブレッド女優で,父親のライアン・オニールと共演した「ペーパー・ムーン」(1973年,ピーター・ボグダノヴィッチ監督)というロード・ムービーに小学生の頃出演し,確かアカデミー助演女優賞にノミネートされたのではなかったでしょうか.その後,「がんばれベアーズ」という映画で,女の子の剛速球ピッチャー役で出演し,天才子役の名を欲しいままにしていましたね.同じ頃,「羊たちの沈黙」等で有名なジョディー・フォスターも同年代の子役として映画界に登場し,「タクシー・ドライバー」で衝撃的な役を演じて,天才子役の二人として紹介されていました.そうそうもう一人,アメリカのテレビドラマからクリスティ・マクニコルという天才子役も登場し,テータム・オニールと共演した映画(リトル・ダーリングだったかな?面白くない映画でしたが)もありました.
テータム・オニールはエリザベス・テーラーの再来とも謳われたのですが,その後,その破天荒な性格から映画界から遠ざかっていきました.そして,天才テニスプレーヤーのジョン・マッケンローと結婚し,そして離婚.今はどうしているのでしょうか.
僕は,「ペーパー・ムーン」や「がんばれベアーズ」に出演している頃の彼女が好きです.これらの映画は,僕が小学校から中学校の頃の映画で,そういえば僕はテータム・オニールと同年代なんですね.多感な時期でしたから,何か共感(恋心?)を持っていたのでしょう.「ペーパー・ムーン」では,彼女はオーバーオールを着ていて,それに憧れて僕は母親と一緒にジーパン屋に向かい,オーバーオールを買ってきて,好んでよく着ていました.母親は,足の短い自分には全く似合わないのに,なぜオーバーオールにこだわるのか,と不思議がっていましたが.お袋,実はそういうことだったんですよ.まぁ,ちょっとしたことで憧れたりする年頃でしたからね.今頃,どうしているんでしょうかね,テータム・オニールさんは.