家路の車窓

2004/12月号

2004/12/02木曜日

 

「ゆずの“桜木町”と爆風スランプの“大きな玉ねぎの下で”の比較研究」

“さよならバス”以来,ゆずのファンです.最近発売された「one」というアルバムをMP3にコピーしてよく聴いています.この中に“桜木町”という歌が4曲目に入っていて,特に気に入っています.学生の皆さんにも,結構好きな人がいるでしょうし,この歌の内容のような経験をして,歌詞とダブらせて感傷的な気持ちになる人も多いと思います.ちょっとした気持ちのすれ違いから,“未練たらたら”で別れをむかえるという内容の歌ですね.この“未練たらたら”から,待ち合わせをした駅や遊びに行った場所と,好きだった人との思い出をつないで,別れてしまった人とのつながりを保ちたいと言う気持ちを歌っています.“桜木町”では,「海沿いの道」であり「大きな観覧車」であり「桜木町駅」が,そのつながりを保つためのアイテムとして歌われています.

ところで,これと同じような内容の歌で,もう20年ぐらい前にスマッシュヒットした歌を思い出しました.つるつる頭で千葉県の東葛高校(とうかつこうこう,本当は東葛飾高校というのかもしれない)出身,早稲田大学に8年通って卒業したかどうか定かではない「サンプラザ中野」がボーカルをしていた「爆風スランプ」というバンドの“大きな玉ねぎの下で”という歌です.「大きな玉ねぎ」とは,武道館の形を形容したもので,武道館のコンサートでペンフレンド(もう死語だな,きっと)とはじめて会う約束をするのですが,そのペンフレンドが結局,武道館に現れないという状況を歌ったものです.歌詞の主人公は,まだ一度も会ったことのないペンフレンドに淡い恋心を抱いていて,でも結局その彼女には会えずに,“未練たらたら”で会場を後にするときの情景を歌っています.この歌の“未練たらたら”は,“九段下の駅をおりたさか道”やコンサート会場の中の“君のための席”などで歌われています.実はこの歌,よくカラオケで歌うんです.

まぁ,20年も時代が過ぎていても,結構似たような内容の歌が歌われるものですね.しかし,このような“未練たらたら”の歌の主人公は,決まって男であることも,変わらないものですね.

 

2004/12/02木曜日

 

「大学における教育の仕方」

大学における教育の手法として,「講義」と「研究指導」があります.講義は,決まった曜日・時間に行われるもので,全回数も決まっています.誰しも,教育の方法イコール講義と考えている人が多いと思います.ですから,「大学は夏休みや春休みが長くて,良いですね」なんて,隣近所の方々から言われることがあります.すなわち,夏休みや春休みは長く講義が無いから,教育もストップと思っている方々が多いようです.何を隠そう我が家族も,みんなそう思っていたようです.学生が夏休みや春休みを取っている時期にせっせと学校に向かう僕を見て,「あんたは学校が好きだねぇ」という始末でした.まぁ,間違ってはいませんが・・・.ところが,実際は,この時期に休んでいない学生たちがいます.それは4年生と大学院生たちです.

大学における教育のもう一つとして「研究指導」があります.対象は,その4年生と大学院生になります.僕は,教育者でもありますが,研究者でもあるので,人一倍熱心であると自負しています.研究や学問の楽しさ,驚愕することもある自然現象への感動・驚異を知ってもらいたいという一心からです.「研究」の楽しさに取りつかれた者の思い込みかもしれませんが,「研究のすばらしさ」は,@自分なりに自然現象・社会現象が理解できたときの心臓が震えるような感動,A自分なりの理解ができると人に話したくなり論文として公開できたときの充実感,Bそして,その成果が時々ほめられたときの喜び,の3つがあると思っています.最初の@,AがなければBはあり得ないのですから,研究に対する動機は@とAに起因しているのでしょう.

皆が皆,研究者になるわけではないのだから・・・という意見もあります.でも,今までに述べてきたことは,人生そのもののように思うんですよね.息子が「あっ!そっかー」と言って,ものを理解するときには@の感動があると思うし,論文ではないけれど,「今日ね,保育園で皆の前でお話しができたんだよ」と話す娘もAの充実感を感じているのだと思います.どのような人生を歩むにせよ,研究のすばらしさ@とAは,人生の歓喜そのものに通じるものだと思います.ところで今回の「家路の車窓」は,タイトルとは随分かけ離れた終わり方になってしまいました.

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