家路の車窓
2005/11月号
2005/11/10木曜日
「ピッチャー・息子」
読者の皆さんは,ボクの息子が少年野球をしているのをご存知だと思います.その息子が,先日の4年生以下のチーム同士,つまり二軍同士の試合で,先発ピッチャーを務めました.試合開始前,コーチを囲んでなにやら話していたのですが,そのとき,息子の名前がちょっと聞こえたのと,息子がコーチの話を聞きながら頷いている姿がありました.そして,遠くで見ているボクと目が合って,「ピ・ッ・チ・ャ・ー」と唇を動かして見せました.
このときのボクの気持ちは「え!,ピッチャーかよ!?」でした.将来はピッチャーになりたいと言ってはいたものの,まだ始めて半年だし,キャッチボールの練習がほとんどで,ピッチャーとしての投球のルールも知らないのに,いったいどうなっちゃうんだろうという気持ちでした.
実は,この日の朝,息子は試合に臨む緊張感から「野球を休みたい」と言って大泣きしていました.前日一緒に眠りにつくときは,「明日は試合だ,頑張ろう.でも,今からドキドキしているんだよね」と言ってたので,本当に緊張していて,当日の朝に,試合に行くことが怖くなったんでしょうね.気持ちは良く分かります.この緊張感に耐えて試合に向かったら,ピッチャーを指名されるなんて,さらなる緊張になっていたのではないでしょうか.
しかし,ピッチャーを指名され,即席の投球練習,特にセットアップでの投げ方をコーチに教わっているときの,息子の目は,恐れよりも期待の方が大きかったように見えました.そして,試合開始です.第一球は大きく外れてボールでした.そして第一打者に対しても,2ストライクまで追い込んでいましたが,結局フォアボール.2回と1/3を投げて失点は8点だったそうです.そんなことよりも,アウトが取れるのかと思ってみていましたが,最初のアウトは,なんと三振でした.三振でのアウトカウントは2個でしたが,振り逃げされたケースも含めると5個三振させていました.これが本人にとってとても自信になったようです.そうそう,これが自信になったのかもしれませんが,それまで打率0割0分0厘だった息子が,2打数2安打までしてしまいました.
こんな顛末での息子の初登板でしたが,観ている親はハラハラしていました.ママは,三振で始めてのアウトを取ったとき,泣いていたそうです.ボクは,「落ち着け!」とか「思いっきり行け!」とか,できることといったら励ますことだけでした.この経験が,野球だけではなく,いろいろなことでの自信になってくれればと思うのが,親としての精一杯の気持ちです.
2005/11/10木曜日
「大学時代の文化祭の思い出」
学園祭のシーズンですね.僕も,大学時代の所属クラブで大学祭に毎年,店を出していました.アメリカンドッグとホットコーヒーを売る模擬店でした.僕の出身大学の学園祭はかなりの数のお客さんが集まる学園祭で,有名なアーティストを輩出しているジャズ研などはOBとしてその著名なアーティストがほとんど無料で演奏したり,すごく得した気分になれる学園祭でした.フォークソングクラブには,歌手“イルカ”の旦那様がOBということで,格安で(1000円程度)イルカのミニコンサートが観賞できたりしました.
学園祭の時期は,当時売れていた芸能人が普通に歩いていて,ミーハーな僕は結構楽しめました.同年代の方はご存知だと思いますが,シュガーというグループが当時「ウェディング・ベル」という,男の人にとっては薄ら寒くなるような歌詞の楽曲を歌ってブレイクしていました.このシュガーのイベントが僕たちの模擬店の近くでやっていたので,抜け出して真っ赤なエプロンをしたまま観に行きました.イベントの最後に,観に来ている観衆からシュガーのメンバーの3人が各1名を選んで,その後に行われたミニコンサートに招待してくれるという特典がありました.僕は,いつものように大きな声で「ハイ,ハイ,ハイ!!!」と手を挙げ,また赤いエプロンが功を奏してか,シュガー3人のメンバーで最も可愛らしく人気のあったボーカルのミキちゃん(3人組の真ん中の人)に選ばれました.いや〜,うれしかったですね.握手なんかして.その日は手を洗わなかったんじゃなかったかな.そして,有頂天でミニコンサートを観に行き,なんと模擬店で出していたアメリカンドッグとホットコーヒーを銀紙に包んで歌っている最中に差し入れてしまいました.歌っているんだから,そんなもん差し出されても受け取れませんよね,実際.でも,快く受け取ってもらえて.今思えば何てバカなことをしたのかと思ってます.でも,とても楽しくて,今でも思い出すと不思議とウキウキしてしまいます.