家路の車窓

2006/05月号

2006/05/11木曜日

 

「父の教え」

父を亡くして5年が経とうとしています.何回か,「家路の車窓」のお話の中に出てきているので,ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが,父は教育者でした.高校の地理の先生として長く教育の現場にいたようですが,明確な記憶として僕が覚えているのは,都立教育研究所なるところに勤めている父の姿です.教育指導主事という肩書きで,「どんな仕事なの?」と物心がつき始めた頃の僕は質問したことがあります.「まぁ,先生の先生みたいなもんだなぁ」という回答でした.よく「教育とは・・」とか「ジャージ姿で教壇に立つ先生はけしからん」とか,言っていたのを記憶しています.僕の中学生時代は,数学の先生でもジャージ姿で教壇に立つことがありました.熱血先生が主人公の定番ドラマでは,ラグビー部の顧問で,かつ英語の先生という設定が主流で,ここに登場する先生は決まってジャージ姿で教壇に立っていたんですね.この影響か,体育の先生でなくても,ジャージ姿で教壇に立つ先生は確かに存在しました.

父は,先生という職業に誇りを持ち続け,途中,実家のある市の郷土博物館の初代館長などを勤めましたが,最終的には大学の教員になり,まぁ,一貫して教育の現場にいた人です.ですから,僕の家には,僕が小さい頃から,父の教え子であり僕にとってはかまってくれるお兄さんやお姉さんがよく遊びに来ていました.

このような父を持った僕が,ふとしたきっかけから現在,大学の先生をしております.いつまで先生という職業を続けられるか分かりませんが,なんらかの父の影響・教えがあったのかもしれません.僕の子供たちを学校やゼミ合宿に連れていくので,息子や娘も,僕の小さい頃と同じように,僕の教え子であり,子供たちにとってかまってくれるお兄さんやお姉さんと一緒の時を過ごせることをとても楽しみにしています.これも父の教えなのかもしれません.

ただ一つ,父の教えに従っていないことがあります.ジャージ姿で教壇に向かうことはありませんが,比較的ラフな格好で教壇に立ちます(ネクタイはしません).親父ごめんね.熱血先生ドラマの教えも受けちゃったのかもしれません.

 

2006/05/11木曜日

「プレイニング・マネージャー」

ヤクルトの古田選手は2006年度のシーズンではプレイニング・マネージャーに就任しました.キャッチャーという中心的ポジションの選手とチームの監督という2つの重責を担うことになりました.本当にこの選択は良かったのでしょうか.

過去にも,現・楽天イーグルスの野村監督も,南海ホークス(当時)の選手兼監督だったようですし,そしてかなり良い成績をおさめていたようですね.でも,現在の野球の状況,選手のレベルなど,そのころよりも格段にアップしていますよね.そのような状況で古田の選手兼監督は本当に成功するとは思えません.

会社などでも,「できる人には仕事が集まる」という言葉を聞きます.経営層も「できる奴に任せれば,大丈夫」とか何とか言ってやしませんか.日本の組織体質なのかもしれませんが,はっきり言ってここに問題があると思います.こういう経営層は,経営層としてやるべきことをしていないと思いますね.いわゆる“できる人”は責任感の強い人でしょうから,それなりに対応して期日までに何とか解決していこうと思います.しかし過度の責任を負わせられれば,どんな人でもパンクしてしまいます.経営層が先のように「できる奴に任せておけば・・・」などというのであれば,その能力のある人を食いつぶし,結局はつぶしてしまうことになると思います.能力のある人であるからこそ,その人が思う存分本領を発揮できるように周辺環境を整えたり,仕事をセーブさせたり,というのが本当の経営層だと思います.その意味では,古田の選手兼監督というポジションは,極めて危険だと思います.選手として,そして監督としても,良い方向にいかない可能性があると思います.素晴らしい選手であり,素晴らしい指導者となるであろうヤクルトの古田選手であるからこそ心配です.これは,野球界だけでなく,日本の組織経営の欠点だと思います.適切な経営を望みたいですね.

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