家路の車窓
2006/08月号
2006/08/03木曜日
「成熟した土木工学と先端科学の視点の違い」
ちょっと硬い内容になっちゃいますかね?まぁ,たまにはお許しください.僕の専攻は土木工学なのです.土木工学というと,ただ“土(つち)”と“木(き)”という身近にあるものの用語で構成されている工学ですが,なぜかしら,皆さんにはイメージが悪いんですね.でも,とっても世の中のためになっている工学ですから,土木工学という用語を僕は愛しています.ちょっと地震がきても壊れないような橋や建物を造ったり,台風や豪雨でも壊れない川の堤防を造ったり,楽しく過ごせる砂浜や海外からの輸入品を運ぶために必要な港を造ったり,心地よく移動できる道路や鉄道を造ったり,土砂崩れや地すべりから家を守ったりするための工学なんですよ,皆さん.そうそうそれから,普段何気なく蛇口をひねると水が出てきますよね.スイッチをいれると電気もつく.コンロにもガスがきていてすぐ着火してお湯が沸かせる.なんとも当たり前のように安心して暮らせるのも“成熟”した土木工学があるからです.そして,土木技術者は地道に,本当に地道に,縁の下の力持ちのように,自らの社会貢献を強く主張することも無く,このようなみんなの暮らしを支えているのです.また,そこに誇りを持っています.今直面している難問を解決していることに,自負と誇りを持っているのです.
さて,ここで先端科学分野に目を向けてみると,未来の世界を大きく変える可能性のある技術が目白押しですね.このような学問分野の研究者は,「“将来”,こんなにことに役立つ」と強く主張しますね.おそらく,先のような“今現在”の難問解決に地道に取り組んでいる土木技術者は,いつになるか分からない“将来”のことばかり考えていて,のんきなものだとか思っている人も多いと思います.そう,土木工学は,“今”の生活を支えることがその責務ですからね.しかしこれからの土木も,“今”の生活を支える学問であると同時に,“未来”の子供たちの生活を支える学問であるようにしていかなければならないと思います.そうでなければ,若い人達に魅力のある学問とは思ってもらえないのではないでしょうか.土木工学も,将来や夢を,大いに語っていきましょう.
2006/08/03木曜日
「W杯におけるジダンの暴行に関する考察」
今回のサッカー・ワールドカップは,決勝戦でイタリアがPK戦を5-3でフランスを降して,24年ぶりの優勝ということで終わりました.今回の決勝戦では,何と言ってもフランスの英雄「ジダン」がイタリアのマテラッティに行ってしまった,延長後半でまさに“やってしまった”頭突きで,レッドカード・一発退場でしたね.テレビで見ていると,マテラッティにジダンは何か言われているようで,突然激昂して,“やってしまった”という感じですね.スポーツの世界に限らず,一般的には,肉体的暴力にはペナルティは課せられますが,言葉の暴力には,その判断も難しいので,ペナルティが課せられることは少ないですね.
僕も小さい頃から,口よりも手が先に出てしまう人間なので,ジダンに同情してしまいます.名誉をとても傷つけられるようなことを言われたら,“やってはいけない”と分かっていても,手が出てしまうことはあるのではないでしょうか.
忠臣蔵でも,浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)が,江戸城「殿中」において吉良上野介(きら こうずけのすけ)を斬り付ける行為を行ってしまい即日切腹となりました.これだって,吉良上野介が浅野内匠頭の名誉を傷つけるような言葉を言い,浅野がそれに激昂して「殿中」で刀を抜いてしまったというものです.浅野内匠頭の行為と今回のジダンの行った行為はまったく同じものであり,まさに「ワールドカップ忠臣蔵」みたいなものですね.忠臣蔵では,浅野内匠頭の部下である大石内蔵助(おおいし くらのすけ)が赤穂浪士四十七士を引き連れ,吉良家に討ち入りに入り,浅野の仇討ちをします.そして,結局は仇討ちをした赤穂浪士四十七士も切腹します.つまり,喧嘩両成敗ということです.ジダンとマテラッティの事件も,結局のところ,喧嘩両成敗となり,ジダンだけが責められるのは,腑に落ちないことですね.