家路の車窓

2006/10月号

2006/10/4水曜日

 

The river

僕の好きな歌に,ブルース・スプリングスティーンの”The river”があります.皆さんは,ご存知でしょうか.この歌を良く聴いたのは高校生の頃で,この歌を聴いて受験英語では全く憶えることのないであろう”pregnant”という単語の意味を知ったりしました.ハーモニカの音から切なく始まり,だんだんと盛り上がってきて大きな声で歌い,また最後はハーモニカの音で終わっていく曲です.歌の内容は,あまり良く分からないのですが,いろいろあった人生と川の流れを重ね合わせて歌っているというものと思います.”Down to river”というフレーズを聴くと,何かとても切ない気持ちになります.川は,何か人の人生とか生き方にも係わる何か象徴的なものとして考えられることが多いようですね.4大文明も,大きな河川の周辺に発達していきましたし,人間が生きる上で重要なものなのかもしれません.

僕の父は地理学者で河川を研究対象にしていました.川の底の石ころが,どのように丸くなっていくか,というようなことを研究していたようです(専門的に書くと,“河床砂礫の形状変化に関する研究”といったところでしょう).その父は河川を愛し,時に氾濫し人の命を奪うが,氾濫することにより河川周辺の土地を肥沃なものにすると言っていました.なんともこの諸刃の剣のような危うさが,河川の魅力であるとでもいうように,よく子供の頃の僕に話をしていました.

僕が子供の頃に遊んだ柳瀬川は,既に生活排水や病院などからの排水で汚染され,とても入って泳ごうという気にはなれないものになっていました.しかし,半ズボンに裸足で川の中に入って,流れの速さにちょっと怖がってみたり,汚いと思っていた川にも,流れの緩いところには生物がいることに驚いたりしました.自分の子供の頃の思い出のどこかには,川で遊んだ風景が出てきます.やっぱり,川は人間の生活にかなり密接なものなのかもしれません.

 

2006/10/4水曜日

「ベトナムでの“乾杯”」

今年の9月に出張でベトナムのハノイとフエに行ってきました.目的は,ベトナムの大学との共同研究や研究協定を結ぶための話し合いなど等です.それ以外にも研究関連の現場視察も行ってきました.でも今回の出張では,思わぬ経験をしてきました.今回は,そのお話をします.

今回の国外出張は一人ではなく,チームで行動しました.その中には人文学部の先生もいました.その先生には工学部の僕とは異なる視点があって,その先生から「明日,ベトナムの小学校に行ってみませんか」という提案がありました.“えっ!”とびっくりしたのが正直なところです.小学校といえば,息子の授業参観であったり,子供会のイベントで行くぐらいです.もちろん,“息子がいるので来ました”という顔をして,小学校を訪問します.しかし,今回のベトナムの小学校訪問には,“息子”はいません(当たり前か!).“小学校を訪問して何をするんだろう?”と思いましたが,生来の旺盛な好奇心から「行ってみましょう!一緒に行かせて」と反射的に言っていました.一体何をするのかと思ったら,日本のことや勉強のことを質問して,困っていること,ベトナムの小学生が望んでいることを尋ねたり.ベトナムの小学生たちは最初は少し恥ずかしそうにして,でも誰かが手を挙げて発言すると,僕も私もと積極的に話しかけてくれました.「訪問させてもらったお礼に何か歌を贈りましょう」という人文学部の先生の呼び掛けで,僕が長渕剛の“乾杯”を,なんとアカペラで披露することになってしまいました.

実は,これには布石があります.前日の夕方,やはり人文学部の先生のツテで日本語会話学校を訪問しました.日本で言う英会話学校のベトナムでの日本語版といったところでしょうか.日本語会話学校の生徒さんは,中学2年生から24, 25歳の方までと幅広い年齢層でした.日本人の訪問からか,日本の歌を日本語で歌ってくれました.そして御返しとして,訪問した日本人側からも歌を贈ろうということになって,まずは人文学部の先生が「花」を歌いました.その後にご指名を受けた僕は,アカペラで何とか歌える歌としてとっさに思い浮かんだのが,長渕剛の“乾杯”でした.お祝いの席で歌う歌であるということも,御返しとして贈る歌としてふさわしいとも思いました.何とか歌い終わったら,生徒さんの一人に“教えてください”と言われて,教室の黒板にひらがなで歌詞を書き,練習で3回歌い,最後には日本語会話学校と訪問した日本人全員で大合唱していました.

最後に大合唱しているとき,実は鳥肌が立つぐらい感動していました,なぜだか分からないけど.ベトナムの生徒さん達から,音楽の専門家でもない僕たちに長渕剛の乾杯を教えることを求められて,僕たち日本人もできる範囲で精一杯やって,それを求めた生徒さん達が一生懸命受け留めて,歌を習おうとしている状況に感動してしまいました.教える者は一生懸命教えようという気持ちを前面に出し,教えられる者も一生懸命学びとろうという気持ちを前面に出し,それが共振するときに“本当の教育”が行えるのではないかという思いが,最後の大合唱のときに頭に思い浮かびました.僕が従事している教育というものは,こんなにも感動するものであることを思い知らされました.

ベトナムの小学校で“乾杯”を歌ったときも,同じような思いが再び,浮かんできました.彼らの一生懸命に何かを求める眼が忘れられません.純粋で,素直で,いかにも子供らしい屈託のない笑顔が忘れられません.そんな気持ちを持ちつつ終わった国外出張から帰って迎えてくれた我が息子と娘も,同じ眼の光と笑顔で迎えてくれました.いつまでも,その一生懸命に学ぶ姿勢を持ちつつ,大人になったら自分たちの子供たちにも一生懸命教える気持ちを持つように育って欲しいと思いました.

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