家路の車窓
2007/06月号
2007/06/01金曜日
「背番号9」
小学5年生の長男が所属する野球部の合宿がありました.ある大会に向けた練習のための合宿です.この合宿が終わると,その大会に臨む選手たちの背番号が発表されることになっていました.長男は,入部以来,ずっと二桁の背番号です.後から入部した子や自分よりも年下の子にも抜かれたりして,悔しい思いもしていたと思います.
それがついに(やっと?)一桁の「背番号9」をもらいました.ここのところ,年長の6年生数名に故障者が出ていて,一軍の試合に“ライトで8番”というとても名誉ある形で出場していました.本人も“もしかしたら・・・”と思っていたかもしれません.しかし,故障している6年生たちは肩が痛いことから思いっきり投げられないという状況ではありますが,外野の捕球に関しては安心してみていられるレベルの子達ばかりです.「う〜ん,どうかなぁ」という思いだったと思います.
長男もレギュラー背番号をもらえるとしたら,ポジションから考えて“9”と思っていたのでしょう.監督が1番から発表していき,背番号を渡す際には,一人ひとりの選手に声をかけていました.いよいよ9番の発表というときの長男は,とても緊張していて,強張った顔をしていました.監督が「9番・・・・・コミネ」と発表したときには,ホッとして笑っていました.うれしさのあまりか,監督の前に進むことを忘れていると,「タラタラするな,早く前に来い」と言われ,笑顔で監督の前に進んだのですが,ものすごく監督の近くにへばりつくように立って,他のコーチから「コミネぇ・・・近すぎるぞぉ」と言われる始末です.嬉しかったのでしょうね.その後は,二桁の背番号の発表です.長男に続いたのは,故障している6年生数名です.悔しそうな顔をしていました.「故障さえなければ・・・」という思いだったと思います.さらに続いて低学年の子達の背番号の発表です.頑張った子,あまり頑張れなかった子,様々です.背番号発表が終わって,監督からは「それぞれの背番号の意味を良く考えてくれ.」と訓示がありました.背番号1はチームのエースであり,単に喜んでいるのではなく,その責任を考えろ,ということでした.背番号9の長男も,故障している6年生の気持ちを考えて試合に臨まなければなりません.その責任は重いですね.故障した6年生に「オレが出場していれば,あんなプレーはしなかったのに・・・」なんて言われないようなプレーを心がけなければなりません.
日頃,学生さんの成績を評価している教員の僕にとって,この背番号発表はとても参考になりました.僕も教員が与えた評価の意味を学生さんたちに考えてもらいたいと思います.評価の悪かった人は,何が足りなかったのか,次に何をすべきなのか,評価の良かった人も単に喜んでいるのではなく,もっとステップアップするためには,次に何をしなければならないのか.教員である僕も,学生さんたちに評価を伝えるとき,このようなメッセージを伝えていくようにしなければと思いました.
2007/06/01金曜日
「学問と勉強」
僕は学生の皆さんとお話しするときに,「もっと勉強してね」と言いたくありません.勉強は,誰かからやれと言われて行うもののように思います.それでは持続可能的ではないし,本当に面白いと思えないと思うんですよね.もちろん,はじめはお母さんに「勉強しなさい」って言われてはじめることの方が多いと思いますが,いつの間にかはまって面白いと思ってどんどん先に進めていることがあると思います.それはもう,勉強ではなく,“学問”になっていると思います.
僕は“学問”という言葉が好きですね.“学び問う”という言葉で,能動的な印象を持てますよね.“勉強”という言葉は“勉めて強いる”という感じがします.広辞苑第5版では,このような解釈は間違っていると言われるかもしれませんが,僕自身が受け留める言葉の印象は,こんな感じです.やっぱり能動的に,“自ら学び問う”というものであるべきと思います.このような解釈から,勉強は机の上で行うもののように思いますが,学問はまったく違うように思います.僕の大学で一生懸命実験をしている学生の皆さんは,まさに“自ら学び問う”ことをしていて,その目はキラキラしているように思います.不思議に思うと調べたり試したりしないではいられませんよね.何かひらめいたりするとやってみないではいられませんよね.どうなるかな,うまくいくかなと思う気持ち,このときにはワクワクする気持ちがありますよね.これが“自ら学び問う”ことであり,楽しくて楽しくてたまらないものなんですよね.まぁ,ちょっとくどい話題でしたので,これぐらいにしておきましょう.