家路の車窓
2007/08月号
2007/08/01水曜日
「世間は,狭いねぇ」
いや〜,世間は狭いって思うことが時々おきますよね.こんなに広い地球で,こんなに長い時間空間の中で,ちょっとした偶然で驚くような再会がありますよね.前の職場で2月下旬に北海道に突然出張ということがありました.2月ですから,凄い雪で,少し到着が遅れました.2時間遅れで札幌に着いて,宿泊予定のホテルに向かっていると,ある交差点で赤信号待ちをすることになりました.そして対面に目を向けると,見覚えのある顔,そう大学時代によく遊んだ友人の顔がありました.「おー!おまえ,何やってんだよ,こんなところで」とお互いに声をかけました.僕は当時,千葉県に住んでおり,その友人は広島県に住んでいて有給休暇を使ってスキー旅行に来たとのことでした.そんな二人が,真冬の北海道は札幌のある交差点で再会するなんてことがあるんですね.なんという確率でしょうね.突然の出張を命ぜられなければ,飛行機が2時間遅れなければ,そして,この友人がこの時期に休暇を取ってスキーに来なければ,有り得なかった再会なのです.こんなことがあるのですから,「宝くじも結構,当たっちゃうんじゃないかなぁ」なんて思ってしまうぐらいです.
つい先日も,驚くような世間の狭さを感じた出来事がありました.土曜日に集中の教養科目の講義がありました.この講義は,オムニバス的に数名の教員が登壇します.僕の出番は,午後だったのですが,講義の流れを知るために,午前中から教室に向かいました.そしてお昼休みに,同僚の先生が「今,田んぼで田植えをしているので,見に来ませんか」と声をかけてくれて,見に行くことになりました.田んぼに到着すると,学生さんや一緒に田植えを楽しむご夫婦がいらっしゃいました.いろいろ見せてもらって,一段落していると,ご夫婦の奥様がお茶を出してくれました.お茶を手渡されながら,「私は,あなたと,どこかで会っているような気がする」と言われました.まぁ,いくら印象深い“濃い”顔の私でも,「まぁ,他人の空似だろう」という程度に思っていました.すると驚くことに,その奥様から,私の前の職場の名前が発せられました.そう,その方は前の職場で一緒に働いていた方だったのです.それも同じ部署でした.「なんだ,コミネくん!!」と言うことに.もう15年ぶりぐらいでしょうかね.この再会も,集中講義を担当しなければ,また,午前中から教室に行って田んぼを見ようというお誘いを受けなければ,なかったことなのでしょうね.
さらにもう一つ.研究室である4年生と高校野球のお話をしていました.この学生さんも高校野球の選手だったので,茨城県内の高校の野球事情についてお話していました.僕の長男も高校野球の選手になりたいと言っているので,“どの高校が強い”とか“もし僕の息子が甲子園に行ったら,講義は休講だな”などと親バカ話をしていると,僕の頭に,やはり前の職場でお世話になった上司で,現在ある大学の先生をしている人のことが頭に浮かびました.その理由は,その方の息子さんが高校でラグビーをしていて花園の全国大会に出場したときに,休暇を取って応援に行っていたことを思い出したからです.“もし自分の息子が全国大会に出たりしたら,僕もそうなるんだろうなぁ”ってことで頭に思い浮かんだのです.そして,話しをしていた4年生に,その逸話を話していると,なんとその4年生が「俺,その人知ってますよ,前住んでいた家のお隣さんで,大変お世話になった方です」と言い出しました.もうビックリ仰天です.早速,当の先生に連絡してみると,間違いなく,その先生もビックリしていました.
後半の2件の出来事は一週間内に起きたことなので,本当に世間というのは狭いと思ってしまいました.
2007/08/01水曜日
「早慶戦」
斎藤佑樹選手のおかげで,早慶戦が盛り上がりましたね.僕も学生時代は,何度か見に行きました.大学2年生のときに,早稲田大学が優勝し,神宮から高田馬場(“ばば”って呼ぶんですよね.今もそうらしく,この呼び名を聴くとちょっと嬉しくなります.)までの提灯行列を楽しみ,勝利のお酒を楽しみました.早稲田界隈の飲み屋さんでは,早稲田大学の学生限定で,学生証を見せると,六大学野球優勝記念ということで,確かお銚子1本10円,焼き鳥一本1円という,文字通り出血大サービスをしてくれました.1000円でめちゃめちゃ飲めましたね,このときは.
僕が学生だった頃は,法政大学が強くて,卒業後プロ野球選手として活躍した小早川選手や足立選手,銚子選手が法大チームの中心選手でした.当時の早稲田大学は,プロのスカウトに声をかけてもらえるような選手はいなく,あの広岡の甥っ子とかいう選手がショートにいたぐらいでしたね.その前年度までは,巨人に在籍した仁村選手がいましたが,現在,ロッテに在籍している小宮山選手が入学するまで,プロにいくような選手はいなかったと思います.そのようなチーム状況なのに,その後広島の中核をなす小早川選手を擁する法政大学に勝ち,優勝したんですね.今から思えば,よく優勝できたものと思います.次の法政大戦で勝てば,優勝の可能性があるということで,その時,早法戦も応援しに行きました.内野3塁側スタンドの前の席に友達と陣取って,野次を飛ばしたことを,鮮明に憶えています.それはそれはひどい野次を言ったということも憶えています.
法政大の3塁手は銚子選手(その後,大洋ホエールズ,今の横浜ベイスターズに入団)でした.銚子選手は,高校時代,千葉県の「銚子高校の銚子君」ということで,ハンサムでもあったので,とても人気がありました.その銚子選手を野次ってしまいました.理由は,単純,法政大が守りの時,内野3塁側スタンド席に一番近くにいる選手で,野次が届くところにいるからです.そこで,ライトフライがあがっても,「お〜い,銚子〜,おまえのボールだぁ〜,取りに行け〜」とか,ここでは言えない様なことも野次で言ったかもしれません.あまりにしつこい野次に腹が立ったのでしょうね.3塁側ファールゾーンにボールが転がり,それを取りに来る際に,僕たち,野次軍団の顔を睨みつけて戻っていきました.そして次の銚子選手の打席のとき,強烈なライナー性のファールボールが,僕たちのいた内野3塁側スタンドの前方に,何度か打ち込まれてきました.狙われている・・・こわかったぁ〜.
そんな野次で強豪・法政大学の選手が崩されるわけはないのですが,このときの早稲田大学の選手は,本当によく活躍し,勝利を勝ち取ったのです.最後のバッターとなった法政の選手の打席に対して「あと一人,あと一人・・・」と野次ったり,最後の一球となることを願って「あと一球,あと一球・・・」と連呼すると,応援団のお兄さんが,「やめなさい!スポーツマンシップに反する」と強く言われました.今思えば,言われて当然ですね.でもその頃は,勝てば良いって感じでしたね.若気の至りです.僕にとっても,六大学野球はいろいろ思い出のあるイベントです.また,見に行きたいですね.今度は「ゆーちゃん」を見に行きたいと思います.