家路の車窓

2007/012月号

2007/12/03月曜日

 

「マレーシア・ランカウイ島紀行」

今回は,マレーシアのランカウイ島へ旅したお話をしましょう.ランカウイとはLangkawiと書きます.Langは空の守り神,ワシのことで,Kawiはブラウン色のこと,つまり,胴体がうす茶色をしたワシの島ということで,この鳥がシンボルとのことです.とにかく,景色はきれいだし,のんびりした島でした.

実は,この島へは遊びに行ったわけではなくて,ある大学と現地の大学がコラボレーションで国際シンポジウムを開催して,そのシンポジウムで研究発表を行うために海外出張しました.毎回のことですが,国際会議に参加すると何か今後の研究のヒントになることに気づきますね.どうしてかな?日本で思いつくことが無いわけではありませんが,国際会議の方が集中するためか,それとも本当の意味で異分野の研究者と交流できるからでしょうか,思いつくことが多いですね.今回も,ある研究に関するキーワードを持って帰ってきました.まぁ,それは研究のお話ですので,ここではいたしません.

今回は,若い友人もできました.やっぱり若い人と交流することは楽しいですね.おいしい食事を楽しみながら,しかし,あまりお酒を飲まない国なので,缶ビール一本でなんとなく満足できてしまいます.そして,この島の見所は,なんといっても,GeoParkでした.会議が終わった翌日,半日かけて会議参加者のよるsite visit tourがあり,参加してきました.地質とか地盤が専門の人たちの会議でしたから,もうそれはそれは興奮していました.地球はいったい,どうのようにしてこのような自然の景観を生み出したのでしょうか.黒い砂浜というのもあったり,なんとも不可思議な形状をした岩,岩・・岩の数々です.素晴らしいの一言です.本当に素晴らしい.もう一度訪れたいと思う島でした.

LANGKAWIのシンボル像                                 山の頂からの眺望,素晴らしい!                                   標高650mに架かる観覧用橋

KILIM GEOFOREST PARK                                本物のLANGKAWI(写真をクリック!)                             Floating restaurant

マレーシア・ランカウイ島の風景

 

2007/12/03月曜日

「公共心の教育」

最近感じていることは,「いったい,“公共心”は,いつ,どこで教育されるのか?」ということです.いきなりで分かりにくいと思いますが,最近のいろいろな出来事を見て感じることです.まずは,“公共心”を広辞苑第5版で調べてみましょう.公共心とは,「公共の利益を図る心,公共につくす精神」とあります.このようなことを,いつ,どこで,日本人は教育されるのでしょうか.

例えば,「○○食品が賞味期限切れの食材を再利用している」という社会ニュースや「勝ちさえすれば,反則行為や反則教唆もいとわない」というスポーツニュース,「セレブと呼ばれる人が,如何に成功し大金を手に入れたか」というバラエティ的話題が毎日のようにテレビで放映されています.食品製造の公共心は,安全な食品を公共に提供するという使命感と思います.腕の良い料理人にとって最高の賛辞は,お客さんに「おいしかったですよ」と言われることと思いますが,安全な食材という最低限のルールを守ってはじめて,そのような賛辞を得ることができるものと思います.プロスポーツでも,反則を犯さないという最低限のルールを守りながら,正々堂々と戦って勝利する姿に,誰しも感動するものと思います.プロスポーツでの公共心は,勝つことではなく,正々堂々と戦う姿を公共に示すことであると思います.セレブと呼ばれる人は入手したお金を本当に適切に使用しているのかも,是非聞いてみたいところです.

僕の学問分野・土木工学でも,安全性や成立性という最低限のルールが前提であって,その上でコスト競争や技術力の競争があるはずです.土木工学における公共心とは,まさに公共に益するプロジェクトを推進し,それに活用できる技術の開発を行いたいという気持ちであると思います.

最近の日本で起きている様々な出来事は,この“公共心”が欠如している結果のように感じます.「勝ちさえすれば,何をやってもよい」という姿勢では,公共心が育つはずがありません.

しかし,今の日本の教育において,公共心は教育されているのでしょうか.受験をはじめとして,いつも子供たちは競争させられています.特に個人ベースでの競争を強いられているように思います.個人ベースの競争では,公共心を育成することは不可能であると思います.「自分さえ勝てばよい」という姿勢の人には,公共心というものは育たないでしょう.

その意味では野球のようなチームプレーの中において,公共心が教育されるのではないでしょうか.伏見工業高校のラグビー部の泣き虫な監督さんが「All for one, One for all」という名言を述べています.これは,まさに公共心であると思います.「チームのために自分がやれることは何かを考えろ」ということです.この精神を,今の多くの日本人は,忘れてしまっているのではないでしょうか.今一度,“公共心”というものを考えていただきたいと思います.もちろん,僕も考えます.今の日本に,今の世界に尽くすために,何ができるかを.

メニューへ戻る