家路の車窓

2008/01月号

2008/01/7月曜日

 

「今年は,インド・コルカタ紀行から」

明けましておめでとうございます.とは言え,今は200712月現在,インドのコルカタにおいて,この車窓を書いています.この車窓がアップされるのは,年が明けて20081月ですから,年始早々インドの話題から2008年は幕を明けることになりますね.いつもの海外出張であれば,帰国後に思い出を綴るのですが,今回は,現地において書かずにはいられません.そんな海外体験でした.

インドで生活する際には,とても水に気をつけなければならないようです.僕は,今回,はじめてインドを訪問したのですが,以前にインドを旅した方々から,「とても大変だった」,「とても気を使いながら滞在した」というお話を頻繁に聞きました.出発する前は,持ち前の「何とかなるだろう」という気持ちでいたのですが,トランジットで立ち寄ったシンガポールでも,あまりまだ深刻に考えてなく,コルカタ空港に着いたときから,「水をどうしようか」という思いで頭がいっぱいになってしまいました.空港のさびれた売店で栓が開いていないかどうかを確認してからミネラルウォーターを購入しました.しかし,このボトルを開封して口をつけるのにも,結構勇気がいるという感じでしたね.結局,喉の渇きには勝てず,お腹用の強力な薬を持参したということもあり,飲みました・・・今のところ,大丈夫のようです.実際,とても気をつけて,今,コルカタの生活を楽しんでおります.例えば,先の空港売店で購入したミネラルウォーターで歯磨きをし,うがいもしています.磨き終わった歯ブラシの洗浄もミネラルウォーターで行います.シャワーを浴びるときも,歯を食いしばり,口を真一文字に閉ざしています.シャワーの水が口に入らないように・・・.シャワーの後には,やっぱりミネラルウォーターでうがいをします.とにかく,生水,サラダ,果物,氷,アイスクリームに注意しています.

専門の学問分野のアジア地域の会議なのですが,久しぶりにお会いした友人たちと話すことといえば,どうやってお腹の具合を崩さないような食生活をするかという情報の交換が中心という感じですね.本来の目的とは,少しずれていますが,これも仕方の無いことかもしれません.もう,サバイバルって感じです.まだ,コルカタ滞在も始まったばかりです.もしかしたら,帰国前にもう一話ぐらい書けるセンセーショナルな出来事が起きるかもしれません.

 

2008/01/7月曜日

「ガンジスで長渕剛」

「ガンジスでバタフライ」というドラマがはやったようですが,僕は知りませんでした.さて,インド・コルカタへの海外出張にて,念願の・・・念願のガンジス河を見に行きました.20071月の家路の車窓でお約束しましたように,ガンジス河(の支流フーグリー河というのが正確ですが)を,フェリーで移動しながら,X-Barで長渕剛の“ガンジス”を聴きました.僕の場合は「ガンジスでナガブチ」といったところでしょうか.とにかく広く大きな河でした.そして,ゆっくりと流れていました.その流れと,長渕剛のガンジスの旋律がマッチしていて,とても気分の良い視察となりました.時間はゆっくりと流れ,河もゆっくり流れ,フェリーの端でグループから一人離れて,ガンジス河に集中しました.このような大河を見ていると,人間はなんてちっぽけな存在なのだろうか,と思ってしまいます.聖なる河に沐浴し,ただ懸命に生活している人々を見ていると,細かいことにこだわる普段の自分の生活が薄っぺらに感じてしまいます.

自分の希望がかなわなかったり,自分の思うようにゆかなかったり,夢にこだわり過ぎて一歩が踏み出せなかったりして,癇癪を起こす若者が増えているようですが,彼らには是非,ガンジス河を見ていただき,何かを感じ取ってもらいたいと思います.“ただ生きる”・・・それがとても大変なことであり,人生の素晴らしさなのではないかと感じました.“今,出来ることをやる”・・・簡単に思っている人も多いかもしれませんが,なかなか大変なことであると感じました.

沐浴をしている人たちは,“必死”という言葉も存在しないかのような生活をしています.“執念”,“活力”,“無我”・・・なぜだか分かりませんが,普段の生活で忘れがちな言葉が思い出されるガンジス河紀行でした.

 

ガンジス河で沐浴する人々(左)と,ガンジス河を眺めながら長渕剛にのめり込む人(右)

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