家路の車窓
2008/03月号
2008/03/03月曜日
「環境に配慮・・・ゴミの分別の功罪」
地元のラジオに出演してまいりました.一緒に研究活動をしている大学院生と共演しました.ほんの10分ほどの出演でしたが,結構楽しいひと時でした.まずパソナリティーアナウンサーの活舌の素晴らしさに驚きました.また今回は,このアナウンサーの方のインタビューを受けるという形でお話させていただいたのですが,そのストーリー展開の巧妙さに,またビックリという感じでした.何を話したのかというと・・・廃棄物についてです.
今の時代,環境への配慮ということから,ゴミの分別が一般的になってきましたし,皆さん,毎週何曜日が燃えるゴミの日ということが,しっかりと意識されていると思います.ある物質の当初の役割を全うし終えたとき,直ちに,それをいかなる種類のゴミに分別するかを考えていると思います.我が家の子供たちも,どの種類のゴミに分別するのかを,“まずはじめに”考えているように思います.
しかし,このゴミの分別を徹底してきて,何か変な感じを持ちました.つまり,ゴミを何かに使おうという思考が少なくなっているような・・・.どの種類のゴミになるのか考えるのは,結構ストレスになりませんか.早くどの種類のゴミに分別するかを決定して問題解決してしまいたいという感じです.そうすると,ゴミをゴミとして排出することで精一杯で,他の何かに再利用するという思考が,少し低下しているような感じがしてきています.ある物質が当初の役割を全うし終えた後,「他の何かに使えないかな?」という思考をしづらくしているようにも思います.
2008/03/03月曜日
「誤解を恐れずに・・・サービス過剰の功罪」
誤解を恐れずに,今回は書きたいと思います.そう思った理由は,たった今,バスに乗っていて外を眺めていたら,下水管の埋設工事が行われていて,その案内看板に「よごれた水を集める管を埋める工事をしています」というのを見たからです.もちろん,これだけがきっかけではなく,日頃の教育活動でも,サービス過剰ではないかと思うことがあるからです.
確かに「下水管埋設工事中」と書いたら,幼稚園児や小学生には,意味が通じないかもしれませんね.でも,子供たちは“何にでも関心を持つ”という優れた才能を持っていて,親や教師が一緒に歩いていれば,「あれ,なんて書いてあるの?何の工事なの?」と聞くでしょう.もし親や教師が一緒でなければ,「今日,通学途中で,何か工事をやっていて,難しい漢字で書いてあったから,分からなかったんだけど,何の工事なの?」と聞くのではないでしょうか.そうすると親や教師は「あ〜ぁ,あれは下水管埋設工事だよ,下水管というのは,汚れた水だけを集めるんだよ.きれいな水を流す上水道とは別々にしなければまずいでしょ.」と,いろいろな情報が提供される可能性がありますよね.いわゆるコミュニケーションです.
先の誰でも読めるような文章でのアナウンスは,はっきり言って,コミュニケーションをとりたくないという姿勢の表れかもしれませんね.「これじゃ,わかんないよ」と言われないようにするための施策なのでしょうが,“言われないようにする”という行為は,コミュニケーションの拒否とも考えられますよね.「サービスを過剰なまでに丁寧にする」ということは,「苦情や文句を言われないようにする」ためなのであれば,もはやコミュニケーションが成立しなくなるのではないでしょうか.
今回は誤解を恐れずに書きました.とにかくサービス過剰は,過保護にも等しいと思います.今回のことで,「下水管」という言葉を覚える機会を少なくしているというのが実際だと思います.