家路の車窓
2010/10月号
2010/10/01金曜日
「敗戦から学ぶこと」
すっかり秋らしくなった,ある日曜日の夕方6時すぎ,もう辺りは暗くなっていました.僕は外出から帰宅し2階で着替えていたところ,階下で“ガタン”とバットを置く音が聞こえました.その後は,“シ〜ン”と音のない音がしていました.なかなか帰ってこない息子のことを,少し気にしていたので,“帰ってきたのかなぁ”と思って階段を下りていくと,まだバットケースを背負ったユニフォーム姿の息子が母親にしがみついて,声を出すことを堪えながら泣いていました.
予想はしていたことでした.それは,秋の新人戦の大会でのことでした.息子は,第一試合の先発メンバーから外されたそうです.
ここ最近,あまり息子の野球の試合を見に行かないようにしていました.どうも,僕が見に行くときは,あまり調子がよくないように思います.なんとなく意識するのかなぁ.僕が見に行かないと,練習試合ではありますが,ノーヒット・ノーランに後一歩というピッチングで1対0で勝利してみたり,そこそこの活躍をしているようでした.
しかし,秋の新人戦前の練習試合では,どうも安定したピッチングができず,思うようにいかないこともあってか,監督の指示にも従えず,レギュラーナンバーから下ろされていました.そんなこんなで向えた新人戦でした.
僕は,実家の用があって実母と出かけていましたが,息子の試合が気になって,メールで妻とやり取りしていました.第一試合は,やはり先発メンバーを外されていたとのことですが,5回から交代して出場してきたとのことでした.今回は出場させてもらえるだけでも良かったと思っていました.第一試合は,1点差で負けていたところ,最終回,代打・ヒットで出塁した選手の後,息子は送りバントを失敗してしまったようです.後続の選手も凡打で,1点差で第一試合は敗北しました.
リーグ予選は3チームで争い,上位2チームが次に進めるとのことで,第二試合で勝てば,次に進む可能性はまだあります.第二試合では,息子はレフトで9番打者として先発メンバーとして出場しました.まぁ,試合に出してもらえるだけでも良かったところですが.息子は最近の不本意な状況を打破すべく,素振りは良くしていたようです.その効果があったのか,2安打だったそうです.アウトになった一打もセンター前の良い当たりだったようです.個人的には,そんな感じだったようですが,試合は再び,1点差で負けている状況で最終回を迎えたようです.息子はヒットを打ったのでしょうか,とにかく,最終回満塁の三塁ランナーが息子とのことでした.しかし,息子はサインを見落としたようで走らず,どのような状況だったのか良く分からないのですが,1点差で負けてしまったようです.息子のサインの見落としが主な敗因となってしまったようです.
息子がこんなにも試合の勝敗にかかわり,しかも,いずれも負けてしまったので,どんな様子で帰ってくるのかと妻と案じていたところでした.そうしたら冒頭のような状況でした.帰宅してから1時間近く泣いていたようで,声をかけられない重苦しい雰囲気が漂っていました.たかが中学校の地区の予選の試合なのですが,こんなにも真剣なのです.
そんな息子も風呂に入って,少し落ち着いてきて,試合後の様子を話してくれました.そして,今回の大会を振り返って,レギュラー争いしている同級生同士で集まって自主練習をしようということになったそうです.選手同士で話し合って出した結論です.また,一人でやらずに,レギュラー争いしているもの同士で一緒に練習するというのが良いですね.切磋琢磨というのは,こういうのを言うのでしょうね.それから,後輩の選手から「次の大会を頑張りましょう!」と声をかけてもらったそうです.負けなければ経験できなかったであろうことを,しっかり経験して,成長につなげてもらえればと思っています.
これは,前の大会の写真です.この試合は4打数3安打だったかな.左の写真は,左中間を抜いた一打でした.ランニングホームランか!と思いましたが,右の写真にあるように,ホームでタッチアウト.野球のTVドラマみたいですよね.右の写真のキャッチャーとランナーである息子が審判の判定を見る真剣な表情にゾクッとします.
しかしまぁ,大きくなりました.左:中学2年生,右:小学3年生です.もっともっと,成長してください.
2010/10/01金曜日
「時を過ごす」
僕は長距離通勤で1時間30程度電車に揺られておりますが,実は2度ほど乗り過ごしたことがあります.寝ていたのではありません.「家路の車窓」を書いていたり,論文を執筆していたり,本を読んでいたり・・・
時間というのは,古典物理学の世界では絶対的なものであり,相対性理論が登場してからは,相対的なものであるという概念が出てきました.ここで難しい話をしたいのではありません.感覚的には,時間というものは相対的なものであると言いたいのです.楽しいときは,“あっ!”という間に時間がたちますよね.つまらないときは,5分が1時間にも感じます.
ちょっとここでよく考えてみると,楽しいことばかりだと,“あっ!”という間に人生が終わってしまうのではないかしら.辛いとかつまらないと思う長い時間も適当にあって,人生の長さを味わえるのかもしれませんね.楽しいことばかりでは,人生の長さを実感できない.人生の長さを実感するためにも,辛いとかつまらないとか思う長い長い時間を,神様は与えているのかもしれませんね.