家路の車窓
2011/02月号
2011/02/01火曜日
「ハワイでのA Happy New Year!!!!!!」
実は,2010年から2011年の年末年始は,ハワイで過ごしました.ちょっとリッチな気分でした(予算は本当に高かったようですが).年末年始を海外で過ごすのは初めてでしたが,なかなか面白い経験ができましたね.僕は仕事も含めると,今回で4回目のハワイ訪問となりますが,今回はハワイ島にも足を伸ばせたので楽しかったですね.前回,家族でハワイに行ったのは,ちょうど10年前で長女が零歳のときでしたので,特に長女が楽しみにしていたようです.長女は「ハワイは2回目と言われるけど,前回はまったく記憶がないのだから・・・」とよく言っていました.長女は旅行中はずっとハイテンションでいたように思いました.
ハワイ島では,溶岩ツアーに参加して,キラウェア火山の火口や数年前に噴出した溶岩を見学したり,標高2600mのところで,素晴らしい星空を眺めたり,素晴らしい体験でした.オアフ島でも,ダイヤモンドヘッド登山や海水浴を堪能しました.
そして年末年始でなければ味わえなかった,ワイキキビーチでの”A Happy New Year!!”ですね.海外の新年のイベントをテレビで見たことはありましたが,実際にあの盛り上がりの中に身を置けるとは思いませんでした.もう大騒ぎでした.翌早朝に帰国の途につかなければならなかったのですが,街全体が新年ムードで,あちらこちらで花火をやっているし(ハワイでは,新年のときのみ花火が許可されるようです),ホテルの一階にあるディスコでは大音量で音楽を流しているし,寝られる状況ではありませんでした.それだったらということで,家族でワイキキビーチに出て,ハワイの”A Happy New Year!!”を堪能しようということになりました.ビーチに出て海岸近くまで行くと,アメリカ人の夫婦が二人の女性と話していました.その近くに立っていたら,「お〜い,ここに座れよ(もちろん英語で)」と誘われました.一緒にいた二人の女性はカナダからの旅行者で僕と同年代のようでしたね.一人の人は,21歳の息子を連れていました.僕たちの方も,長男長女がいましたから,話題には事欠きませんでした.いろいろ話しているうちに,”A Happy New Year!!”の小道具を,アメリカ人夫婦が我が家族にどんどん手渡してくれて.小道具とは,ブブゼラのような音を出す笛とクルクルまわすとギーギー音を出すいかにも手作りのベルでした.この夫婦は,ウィスコンシンから来たようで,下町のおばちゃん風の奥さんは,日系クウォーターとのことでした.後から話して分かったのですが,大酔っ払い状態だった旦那さんは,1987年にサンディエゴ・パドレスで野球選手としてプレーしていたとのことでした(まぁ,酔っ払って話していたことですから・・・.でも,腕は確かに太かったなぁ).長男が野球をしていると話したら,投げ方を教え始めたり・・・.
そんなこんなでドタバタしながら,カウントダウンがあったのかどうかも分からないうちに,”A Happy New Year!!!!!!!!”って感じでした.長女は,USAおばちゃんからもらったブブゼラもどきの笛を吹きすぎて,一瞬記憶が飛んだというぐらいのハイテンションぶりでした.いや〜,こんな経験はめったにできないですね.とても楽しく,思い出に残る新年でした.
ちょっと見苦しい写真もありますが,ハワイの雰囲気ですよね.
ワイキキのビーチでの”A Happy New Year!!!”.このおじさんが,大酔っ払いの旦那さん.
(この二枚の写真をそれぞれクリックしてみてください.そのときの様子がQuick Time Movie動画で見られます.)
2011/02/01火曜日
「MacとWindows」
今はすっかりウィンドウズ・ユーザーですが,もともとはマック・ユーザーでした.Windows95,
98と発売され,世の中にウィンドウズが流布されて,周りの人がみんなウィンドウズ・ユーザーになっていっても,その頃の僕は「ウィンドウズなんて」と思いながら,自分のマックをせっせとチューンナップしていました.マッキントッシュのマウスは,ボタンが一つしかないのに,いろいろ出来るということに「マックの凄さ」を感じて,周りでウィンドウズも良いよとか言われても見向きもしませんでした.
前いた職場でネットワークが構築され始めた頃,マックユーザーが多く,Apple Talkというネットワークでメールのやり取りを,当時としてはいち早くやっていました.凄く便利に感じたことを憶えていますが,周りの人からは「そんなこと,電話や直接話せばいいじゃないか」と言われたりもしました.しかし席に居なかったりすれば,思い立ったときに話せないし,付箋に書いて机の上にメモを置いても,どこかにまぎれてなくなっちゃうかもしれないし.メールを使い始めて,「伝えなければ」と思ったときにすぐ電子的に「伝えられる」ことに便利さを感じました.当時,そんなことのできるコンピューターはマッキントッシュしかないという感じでした.
SE30(エス・イー・サーティー)からはじまって,Classic II(クラシック・ツー),Centris(セントリス)に続いて,ついには念願のタワータイプのQuadra(クワドラ)を手に入れましたね.タワータイプは,今では普通なのかもしれませんが,その当時のパソコンは,本体の上にモニターを載せて使うタイプが一般的で,モニターの横に縦型の本体があるタイプが“かっこいい”ものでした.当時はQuadraしかなかったんじゃないかな.機能拡張をするため,いろいろなモジュールを入れて,起動する際に画面にたくさんのアイコンが出てくるのを満悦した顔で見ていました.そうそう,アイコンという言葉は,マックを操作していて,はじめて知った言葉ですね,きっと.アイコンはギリシャ語のイコン(icon)から来ていると聞いたことがあります.イコンは信仰の対象の意味ですよね.まさに,このアイコンで目の前のマックが自分だけのマックに変わっていく,神様を信じるような気持ちから,アイコンという呼ばれ方をしたのでしょうか.なかなかドラマチックですね.
そんな僕がWindowsユーザーになってしまったから,さあ大変.前いた職場で僕にマックを薦められた人にとっては,まさに“裏切り”行為ですよね.でも仕方ありませんでした.パソコンの値段も安いし,とってもコンパクトで軽いパソコンが売られているんですもの.ウィンドウズ・ユーザーになってからは,チューンナップはほとんど,いや全くしなくなりました.デフォルトで設定されているまま利用しているのに近いですね.ですので,よく買え換えることもするようになりました.乗換えが楽になっちゃいました.今ではすっかりこだわりを捨てたウィンドウズ派ですが,こだわり続けたマック派だった頃が懐かしくも感じます.