家路の車窓
2012/3月号
あれから,1年になります.実は,当時のことを綴った「家路の車窓」があります.ほんの一瞬,掲載したのですが,あまりの出来事に打ちのめされ,すぐに掲載を取りやめ,自粛しました.2011年9月に復活したけれども,どうにも掲載する気になれませんでした.今もって,掲載する気分にはなれないのですが,当時の気持ちを忘れてはいけないと思い,思い切って今回,掲載することに決めました.
実は2話あるのですが,同じ月に,その2話を掲載するのは,あまりにも辛いので,2012年4月と分けて掲載することにします.もう1話の「家路の車窓」は地震とは関係のない,たわいもない日常の話題を掲載することにします.
2012/3/11日曜日
「2011年3月11日,14時46分」
本当に怖ろしかった.平成23年東北地方太平洋沖地震が発生しました.東北地方と関東地方は,大きな打撃を受けたことは周知のことです.僕は,当時,茨城県日立市中成沢にある茨城大学工学部のS3棟4階にある研究室で勤務中でした.ちょうど,新しいディスクトップパソコンが届き,金曜日の午後ということもあり,セッティングだけでもやろうかと作業を始めたところでした.今まで使っていたディスクトップパソコンを隣の机に置き,これから新しいパソコンを設置する机の上を掃除して,まずは,新品のモニターとキーボードを置きました.そして,いよいよ本体を梱包から取り出し,そこから100mmほど持ち上げた,まさにそのとき,「ゴーゴー」という音とともに,今までの地震とは明らかに異なる高周波のような震動を感じました.その高周波の振動から,一瞬,「あれっ,地震か?」と疑うようなところもありました.研究室の扉近くで梱包からパソコンを取り出そうとしていたので,すぐに研究室の外に出て,屋外のベランダに出ましたが,その直後,今までに経験したことがないような大きな揺れが生じたときは,正直,恐怖を感じました.咄嗟にどうすべきかは,判断できませんでした.そのまま留まるべきか,急いで階下に降り建物から脱出するか.建物が倒壊するかもしれないと思いましたので,階下に向かう途中で倒壊すると深く埋まってしまうし,かといって倒壊するかもしれない建物からいち早く脱出したいし.ただ不思議と,おそらく高周波のような震動だったためでしょうか,意外と歩けましたので,隣室の女性事務員さんにも声をかけて「歩けるから,早く逃げよう」と声をかけて,意を決して,建屋内の階段を一気に死に物狂いで一階まで駆け降りました.非常階段は,反対側のところにあり,そちらに向かう余裕はありませんでした.途中の階にいるであろう学生さんたちに「逃げろー」と叫びながら,建物の外に逃げ出しました.学生さんたちの多くは2階にいたので,僕よりも早く建物外に逃げることができたようです.震源は宮城県沖で,日立は震度6強,最大加速度は1845galでした.
その後,同僚の教職員と学生と建物の外で立ちすくむようにしながら,状況を見守るしかありませんでした.そして,同日の15時15分,茨城県沖を震源とする地震により,大きく建物が揺れ,その轟音に一同おびえるという状況でした.いったいどれだけの時間が過ぎたのでしょう.呆然としつつも,身体の震えは止まりませんでした.グラウンドにみんなが集まっているということで,ほとんど,思考停止状態でグラウンドに向かい,工学部長から帰宅するように言われて,ヘルメットをかぶって,建物内に戻り,リュックと上着だけを持って出ました.おそらく,通勤で使っているJR常磐線は止まっているであろうと思い,大学近くのアパートに住んでいる学生のところに未だ思考停止状態で向かうと,多くの人が「近くの小学校が避難所になるらしい」と話していて,研究室の学生さんと一緒に避難所となる小学校に向かいました.いったいどうなっちゃうんだろうと思いながら・・・.不安・無力というものを痛感した一日が,そこにはありました.
普段は整理整頓された部屋なんですよ.左の写真をクリックすると,当時の実況動画が見られます.
2012/3/11日曜日
「きっと,うまくいく」
海外に留学しようとする学生さんが激減しているとか,最近の若い人は失敗を恐れて何もできない人が多いとか,報道されることが多いですね.確かにそう感じる時があります.しかし自分たちが若者だったときはどうだっただろうかと考えると,不安はいっぱいにもかかわらず「なんとかなるかな」という甘い考えを持っていたように思います.でも,この「なんとかなるかな」という甘い考えが,行動に移すきっかけになっていたのではないでしょうか.
今の世相は「失敗を許さない」雰囲気がありますよね.ほんのちょっとのことでも,許さないような風潮が日本にはあるように思います.政局をみても,「えっ,そんなことで・・?」という話もあります.失敗すると,二度と立ち上がれないような糾弾を受ける感じがします.そんな世相では,とても「なんとかなるかな」という気持ちを持つことはできず,だから失敗を恐れて萎縮してしまうのではないでしょうか.そんな世相は大人たちが作ってきたものであって,若い人の姿勢だけのせいにしてはいけないと思います.
とはいえ若い人にも,大人に対して文句を言ってほしいと思うのですが,その文句を言うことが失敗につながるのではないかとまた思ってしまうのでしょうか,ほとんど苦情を言いませんね.なんか悪循環に陥っていますね.
さて,どうでしょう.『きっと,うまくいく』と心で10回ぐらい唱えていると,不思議と「やる勇気」が醸し出されるような感じがしませんか.僕は,中学生や高校生の頃,何かに処するとき,呪文のように唱えていました.つい先日,NHKのドキュメンタリーで,ノルウェー最北端の町に生計を支えるために打って出るセルビアのある家族のお話を放送していましたが,その家族の長であるお父さんが,不安げな顔をしながら「きっと,うまくいく」と何度もつぶやいていました.このドキュメンタリーを見ていて,不安でいっぱいだった中学生・高校生の頃の対処方法を思い出しました.
不安でいっぱいのとき,失敗が怖くて一歩が踏み出せないとき,萎縮して立ち止まってしまいそうなとき,心で念じてみてはどうでしょう.『きっと,うまくいく,きっと,うまくいく・・・・』