家路の車窓
2012/4月号
あれから,1年になります.実は,当時のことを綴った「家路の車窓」があります.ほんの一瞬,掲載したのですが,あまりの出来事に打ちのめされ,すぐに掲載を取りやめ,自粛しました.2011年9月に復活したけれども,どうにも掲載する気になれませんでした.今もって,掲載する気分にはなれないのですが,当時の気持ちを忘れてはいけないと思い,思い切って今回,掲載することに決めました.
今月号には,2012年3月号に続く第2話を掲載することにします.もう1話の「家路の車窓」は地震とは関係のない,たわいもない日常の話題を掲載することにします.
2012/04/05木曜日
「2011年3月11日,18時ごろ以降」
不安・無力,そんなことを感じながら,避難所に向かいました.しかし,仕方ありません,現実を受け入れるしかないわけですが,どうしても受け入れにくいものがありました.しかし,どうにもならないわけで.無力ですね.
2011年3月11日の18時ごろ,寒く,そして薄暗くなりつつあるときに,研究室の学生さんと一緒に避難所に行きました.そこは暖かかったですが,燃料が切れれば・・・いつまで,この状況が続くのか.でも,僕の周りにいた学生さんは,素晴らしい判断力と行動力がありました.お菓子や食べ物,飲み物,毛布や布団まで,アパートから持ち出してきていました.レバーをくるくる回すと発電できる用具や乾電池,歯ブラシまで,本当にみんな,よく気づきます.彼らの行動力と判断力には敬服しました.若い力は,何事にも動じない判断と行動を生み出すようです.理屈ばかりこねる年寄りは,いざとなると何もできない.そんなことを感じました.
避難所での生活を通じて,知ったことがいくつかあります.一番驚いたのは,お年寄りは一日もしない間に歩行困難になるということです.避難直後には,普通に歩いていた方も,翌朝には,トイレに行くまでの二段の階段も助けがないと降りられなくなっていました.それから,一面停電でしたから,夜空の星や月が明るいことにも驚かされました.日頃は夜でも電力によって明るいんですね.だから,星や月の明るさを全く感じませんでしたが,本当の月はものすごく明るいんですね.
地震発生の翌朝,テレビもラジオもなかったので,いったい,日本はどうなっているのかと思っていました.唯一入手できた情報は,携帯のi-modeのニュースでした.それによると,とても大変なことになっているようでした.しかし,現実感がありませんでした.とにかく,帰宅する方法を考えようと,まずは最寄駅に自転車で行ってみました.そこで「復旧の見込みは,まったく立たない」という張り紙をみて,「はて,ここを脱出しどうやって自宅まで帰ろうか」と思案し始めました.
実は,被災直後から,僕の携帯には,多くの友人や卒業生からメールが届きはじめていました.しかし,すぐに届くわけではないようで,随分と時間がたってから届いたメールもありました.電話はつながりませんが,メールはそこそこ,届くこともわかりました.自宅に帰る方法にめどが立たない状況において,卒業生の一人が,大学の近くの実家に救援に行くので,その帰りに迎えに来てくれると連絡がありました.しかし,その連絡も少し時間がたってから届いて,僕はその卒業生に自分の所在を伝えることができませんでした.しかし,その卒業生は,避難しているであろう場所を予想して,迎えに来てくれました.突然,「先生,帰りましょう」と声をかけられたときは,彼が救世主のように思いました.「やった,これで家に帰れる」と思うとホッとしましたね.2泊3日の短い避難所生活でしたが,僕の周りにいる学生さん,卒業生の底力を思い知らされました.今回の大地震の力も凄かったですが,彼らの底力は,そんな地震にも負けないエネルギーがありました.感動です.
夜は心細い.左は,地震直後の2011年3月11日20時30分の避難状況.この写真をクリックすると動画が見られます.右は,地震発生翌日の2011年3月12日19時22分の状況.
左は,2011年3月13日6時33分の様子.どうやって,自宅に帰るか思案しているとき.右は,2011年3月13日8時16分,卒業生が迎えに来てくれて,自宅に帰れることになったとき.僕の顔に笑顔が・・・でも,学生諸君はしばらく避難生活が続きました.このとき,みんなと固い握手!忘れません.
2012/04/05木曜日
「軍師が好き」
僕は,大学生の頃に読書で知って以来,中国の三国志が大好きです.数限りない,個性的な英雄が登場しては,それぞれの性格と人生観で乱世を生き抜く姿に感動しました.その後は,テレビゲームなどにもなっていて,世代を問わず,楽しめるものになっているのでしょう.三国志には,君主はもちろん,将軍や宰相,軍師などが登場します.その中でも,僕は軍師に憧れてしまいます.なぜか君主には魅力を感じませんね.
三国志の時代ではない前漢の時代ですが,「項羽と劉邦」に出てくる韓信将軍が好きになったのが,きっかけのようです.“軍師が好きとかいって,いきなり将軍じゃないか”と言われるかもしれませんが,韓信将軍は軍師的な人だったのではないかと思っています.劉邦の周りには,韓信の他に,蕭何(しょうか)や張良(ちょうりょう)という賢臣がいました.この3人の中では,張良が軍師だったのかもしれませんが,蕭何が内務的な軍師,張良は劉邦の秘書的な軍師,韓信は兵法における軍師という役割だったのではないかと個人的な見解を持っています.ではなぜ韓信将軍が好きなのかというと,将軍といっても体力勝負ではないところが気に入っています.「韓信の股くぐり」とか「背水の陣」とか,三国志の張飛のように,ただ体力勝負というのではなく,策士である点が好きなのです.大学院を出てすぐに就職した研究所の就職面接の席で,「最近,読んだ本で感銘を受けたものは?」と問われて,迷わず,「項羽と劉邦です.特に,その中の韓信将軍がとても好きです.なぜ,好きかというと・・・・」と問われていないことにまで,夢中になって話してしまったことがあります.
三国志ではとてもたくさんの軍師が出てきますね.諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい,諸葛孔明として有名)はとても有名ですが,三国志後半に登場し,曹操亡き後の魏国を実質的に支配した司馬懿仲達(しばいちゅうたつ,司馬仲達とも言います)も良く知られているのではないでしょうか.三国志の中では,私は諸葛亮孔明が好きです.“死せる孔明,仲達を走らす”というのが良いですよね.戦車の原型を考えたとか,極めて論理的な兵法を編み出したりとか,ワクワクするような人物のように思っています.
三国志の前半では,魏国・曹操の軍師として,荀ケ(じゅんいく)が登場してきます.荀ケは,曹操の暴走に歯止めをかける忠告を数多くするのですが,唯我独尊的な曹操に受け入れてもらえない悩みを持ち続けます.う〜ん,とても人間味がありますね.呉国では,孫堅,孫策,孫権と君主が目まぐるしく変わる中,軍師として周瑜(しゅうゆ)が登場します.赤壁の戦いでは,諸葛亮孔明と協力して勝利しましたね.まだ観ていませんが,映画レッドクリフでの主役は,周瑜が主人公だったのではないでしょうか.周瑜は,病弱でハンサムというイメージですね.