家路の車窓

2011/01月号

2011/01/04火曜日

 

「インド紀行:第二弾とエキサイティングな国際会議にするために」

最近は,第二弾が多いですね.2008年1月号も,新年の「家路の車窓」をインド・コルカタからお送りしましたが,今年2011年の1月号も,インド・デリーのお話からはじめましょう.

2010117日〜13日にかけて,インドの首都デリーで開催された国際会議に出席してきました.今回は,ドクターコースとマスターコースの学生さん2名も口頭発表がありましたので,一緒に行きました.前回のコルカタでは,いろいろなトラブルや食事,飲料水の問題もあり,結構気を使って国外出張した記憶がありましたので,今回の国外出張で成田を発つまで「行きたくないなぁ」と度々口に出していました.一緒に行く学生さんも,僕のコルカタのお話を聞いていたので,注意して行ったことと思います.実際,渡航前には,お医者さんに行って,抗生薬品をもらっていました.もちろん僕も,もらって出発しました.

しかし,今回は,首都のデリーということもあるのか,また,経済発展著しい国であるからなのか,あまり厳しい思いはしませんでした.いやぁ〜,ホッとしました.おっと,この家路の車窓を書いているのは,20101112日(現地年月日),デリーのアンバサダーホテル・ニューデリーの部屋で書いているので,油断してはいけませんが・・・(これから,デリーの国立博物館を見学してから,帰国の途に着く予定です).食事もおいしいし,世界遺産も2箇所(クトゥブ・ミナールとフマユーン廟)見ることができました.お・おっと,見学だけではありません.肝心の国際会議ですが,こちらもかなり実りのあるものでした.

茨城大学からは,4編の論文発表がありました.マスターコースの学生さんは,飛行機に乗るのがこれが3回目で,今回がはじめての海外とのこと.国内で英語での口頭発表を何度か経験した学生ですが,さぞかし,緊張していたことでしょう.でも,しっかりと発表ができ,質問をもらうことができました.質問がもらえたということは,海外の人に伝わったということです.これは素晴らしいことですよね.彼は,世界が広がったように感じたことと思います.それに加えて,ドクターコースの学生さんも,Young Researcher Sessionで,自分の意見を世界の聴衆に送ることができましたし,僕も45回ほど,自分の意見を言わせてもらうチャンスをもらいました.何か嬉しかったですね.

自分の研究成果を発表することだけでも大変ですが,それを英語で行うことは,さらに大変ですね.いまだに僕もそうですし,日本語の場合よりも,数段プレッシャーを感じます.それ以上に,会場で突然,英語でのプレゼンを依頼されたりしたら,これはもっと大変です.今回のドクターコースの学生さんはこれに相当して,一枚のスライドを用意して,3分ほど自分の意見を述べていました.良い経験になったと思います.

ところで,質問をするということは難しいと思いませんか.日本語でも同じですが,自分の発表を行うよりも,質問することの方が,ものすごく勇気が要ります.教育の一環として,質問することを学生諸君に求めていますが,もがき苦しんでいるという感じですね.しかし,質問ができるようになることは,社会人としての第一歩のようにも感じています.さらに英語で質問をする・・・これはもう,ドキドキですね.

僕は,今回の会議で好き勝手な感じで,質問というか自分の意見を発言してきました.この研究分野でも,そこそこ知ってもらっているので,ヘタクソな英語でも比較的気楽に質問ができたのかもしれません.とはいっても,結構な覚悟で臨んでいるんですよ.でも,今回のデリーの会議は,なんとなく,このディベートとも言うべき議論(もちろん,英語で)を楽しめましたね.とてもエキサイティングな会議であったという印象でした.

どうして,エキサイティングと感じたのか・・・最近はポスターでの発表が多くなっていて,大会場で,口頭で発表する形式が少なくなっていました.ポスター発表の方が,恥ずかしがり屋の日本人には良いかなと思っていましたが,ちょっと物足りなくなっていたのかもしれません.より多くの人に自分の意見を伝えるには,大会場で口頭で発表して,ガンガン議論した方が良いように思いました.日本人は,このような形式に苦手意識があるかもしれません.英語で議論しなければなりませんからね.でも国際会議に出席していると,世界中には多種類の英語があることに気づきます.インド訛りの英語やイタリア訛りの英語,ブラジル訛りの英語(古い友人が,これを話します)などなど.みんな,そんな英語で思いっきり話してきます.これからは日本人も正々堂々と,Japanese-Englishで自分の意見を言っていきましょう.

 

どちらも世界遺産です.左:クトゥブ・ミナール,右:フマユーン廟

 

2011/01/04火曜日

「やっぱりやられた!!インド紀行にて」

やっぱり,やられてしまいました.この「家路の車窓」は,1113日金曜日,日本に帰国するべく,デリーを出発した飛行機の中で書いています.インドをあなどってはいけません.やっぱり,やっぱり,期待通り(?)のことが起きますね,インドでは.

インド・デリー市内では,みんな体調も特に問題なく,2年前のコルカタとの状況の変化を感じ,すこし安心していました.だから,インド門を訪問したときなど,

【霞む印,戦の悼み,集う門】

などと,俳句まで作って,いい気になっていました.でも,やられました・・・

何が起きたかというと,予定の日本に向かう2110分発の飛行機に搭乗すべく,デリー国際空港に18:30頃到着し,カウンターに並びました.それほど長くもない乗客の列でしたが,なかなか進まない.まぁ,インドですから,そんなもんだろうと思っていると,どうも日本人客の動きがおかしいのです.手荷物を預けず,航空会社の地上職員にどこかに連れて行かれていました.「リコンファーム(reconfirm)のし忘れかなぁ」などと話していたところ,今回の国際会議に出席していたベトナムからの留学生が「先生,飛行機が9時間ほど遅れて,明日の早朝に出発するようですよ」と教えてくれました.やれやれ・・・.まぁそれなりのディナーを準備してもらいましたが,3時間ほどの仮眠をするためのホテルが,いかにもインドらしいものでした.シャワーは・・・水しか出ません.ツインベッドルームと言っていたのに,実際はダブルベッドでした.そこに,親交のある大学の先生と一緒に過ごすことになって・・・.やだやだ・・・ということで,ダブルベッドとエクストラベッドのある部屋に移動させてもらって,親交のある大学の先生にエクストラベッドに寝ていただいて.この場を借りて御礼を申し上げます.しかし,何となくこのベッド・・・痒くなるし,蚊もプ〜ンと飛んでくるし.親交のある大学の先生が教えてくれました.このホテルの名前はDOVES INN.皆さん,発音してみてください,ドブズインですよ.象徴的な名前でしたね.

早朝330分に起こされ,飛行場についてみると,なんだかよく分かりませんが,空港セキュリティが,昨夜に急造された日本人スペシャルチーム(中には,インドの方も含まれます)を入れてくれません.一体なんだったんだろうなぁ.航空会社の職員が空港セキュリティと揉めるような交渉をして,なんとか空港内に入ることができました.やれやれ・・・

そうして何とか9時間遅れで搭乗ゲートに着いたところで,少しホッとしていました.しかし,恐るべしインドです.そこから2時間30分も,この搭乗ゲートで待たされました.しかも,何のアナウンスもありません.大変であったことは確かですが,昨夜からの間に,急造の日本人スペシャルチーム内では人的交流が起きていました.困ったときは,こんな感じなんですね.結果として,またまた,いろいろなことが起きましたが,まぁ,思い出深い出張となりました

 

左:このインド門で,【霞む印,戦の悼み,集う門】と謳いました.右:思い出深いDOVES INN(ドブズイン)の看板

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