家路の車窓
2012/01月号
2012/01/04水曜日
「新春を迎えて一句」
新春です.穏やかな一年でありますように.最近,俳句に凝っていますので,この「家路の車窓」の最後に“駄句”を一つ.その前に,何故,いま俳句に凝っているのか,についてお話します.実は,2年ぐらい前から,散歩の最中などに観る風景やそのときの心模様を,五・七・五の文章だけで如何に表現できるかを楽しんでいます.毎回,用いる言葉を試行錯誤して選びます.何度も何度も,五・七・五の文章を推敲します.これは研究・学術論文を執筆するトレーニングにもなります.俳句を作るときに心がけていることは,自分が今見ている風景や心情が,別の場所でその俳句を読んだ人にも同じ風景や心情が頭に浮かぶような文章にすることです.これはかなり難しいことです.したがって,何度も,たった五・七・五の文章を推敲せざるを得ないのです.研究・学術論文でも,実験の様子が正確に読者に伝わるように執筆しなければなりません.その点では,俳句と同じなんですね.
面白いことに,この「家路の車窓」の執筆をはじめた2001年6月のコラムで“俳句”について言及しています.当時は,俳句を作るまでの気持ちになっていなかったのに.不思議な因縁を感じますね.
ということで,ここで一句をご披露します.
【斜め陽に,初のおとずれ,感ず春】
皆さん,風景が目に浮かびます?2012年1月4日の早朝の常磐線の中から外を見た風景ですよ!
2012/01/04水曜日
「“坂の上の雲”を再び」
新春を迎えて,いきなり昨年末の話題ですみません.ここのところ年末になると,“坂の上の雲”が不定期ながら放映されています.なかなか時間が合わず,また,長いのでじっくり見られませんが,“坂の上の雲”と聞くと,高校生の頃に読んだことを思い出します.以前も,この「家路の車窓」でもお話ししたと思いますが,僕の高校では世界史が2年も続けて教えられていたので,自然と歴史に興味を持ってしまいました.その世界史の先生は,ただ教科書の内容を教えるのではなく,その歴史的な背景を詳しく,また興味深く教えてくれました.そうそう,その先生は,「年号なんて覚える必要はありません.語呂合わせで年号を覚えるなんて,くだらない.それよりも,なぜ,そのような出来事,事件が起きたかの時代背景を考えてください.」と言われましたね.深い教育でした.
さて,そんな世界史のお話の中で,日露戦争のお話もあったのかもしれません.授業で興味を持ったのか,この高校生の頃,“坂の上の雲”を読みました.どうして,この“坂の上の雲”を選んだのでしょうね.高校生の頃の僕には,何が印象に残ったのでしょうか.なんとなく,国語の教科書で,ちょっと古ぼけた感のある横顔の写真が掲載されていた“正岡子規”の本当の姿を,この“坂の上の雲”から知ったように思います.野球のお話や病気とそれに対峙する正岡子規の人間性を感じましたね.教科書に載っていた,あの正岡子規の写真は,ちょっと悪意があるのではないかな等と思っていました.主人公である秋山好古,真之兄弟のことは,むしろ,あまり印象に残っていませんでした.“正岡子規”の野球と俳句には,なんとなく興味があったのかもしれません.なぜなら,今の僕が,ちょっと関心のあることですからね.